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夜風喫茶店#6 「炎」
女性店主が独りできりもりする夜風喫茶店に、よけいな光はひとつもない。店を見映えさせるためのものも、焼き菓子をおいしく見せるためのも。
ほとんどが常連客だから、気取る必要はないんだろう。ショーウインドーはいつも通り、甘いおしゃべりが満ちるようにパイやケーキで溢れかえっている。
夜がそこまで迫る窓際の席で、一人の女性がレモン・ケーキをつつきながらお茶をすすっている。どうやら人を待っているのではない。夏の終わりの風に流されて、ふらりと迷い込んだという風情だ。
伏し目がちのまぶたの縁で、睫毛がふるふる震える。軽い素材のワンピースは翅みたいで、ちょうちょみたいな女の人だと思った。
そのテーブルにだけ、小さなキャンドルが灯されている。フッと吹けば消えそうなささやかな灯りは、まわりの空気をゆっくり蕩かすように、トロトロ燃えている。
ささやかな祝福のような、特別な光の繭だ。手をかざしたら、あたたかくて心地よい、本物の火のゆらぎ。私のテーブルにも置いてほしいと思ってカウンターを見やると、黙っていた店主の彼女が口を開いた。
「これだけ上質の火を生み出せるマッチは、そうそうないのよ。彼らは百年以上ずっとマッチだけを作ってきたの。でも、工場を閉めることになったらしいから、残っていたのをみんな買い占めちゃった」
彼女はマッチ工場に足を運び、油をさしながら百年以上つかっているという古い機械をそこで見せてもらった。
壊れた機械は二度と使いものにならない。もうこの世界のどこにも、欠けた部品をつくることができる人はいないからだ。
ふと見ると、私の目の前にもキャンドルが配られている。彼女がシュッとマッチを擦ると小さな火が踊り出し、やがてそれは芯に飛び移って、ぽわぽわ燃えだした。
「きれいだね」
「うん」
「どうしてだろう」
「今、ここにしかないからじゃない?」
私たちはそれをじっと見ている。時に静かで可愛らしく、時には芯にしがみつくようにも見える火を。
燃料のロウが溶けきったら、火はいずれ消えてしまう。
窓から一瞬吹き込んできた風をあびて、私は何かとすれ違ったように思う。大きな揚羽蝶か、あるいは誰かのノートから剥がれ落ちた写真。夏の断片。
炎がゆらぐ。
あらゆるものがいつかは終わる。終わってほしかったものも、終わってほしくないものも……
「小説を書くにはたよりない灯りだけど、ないよりはいいでしょう。最後に火を消しておいてね」
と言い残して、彼女は店じまいの準備に入る。
心の奥で、熱と密度が高まる。そこにある小さな火は、私の書きたい気持ちだけを燃料に燃えている。必死に芯にすがりついて、続けることを悩んで、でも続けること以外では、己の生を全うできない。だから。
どんなに簡単に吹き消せそうに見えても、他の誰にも消せない。最後にそれを消せるのは、私だけなのだ。
<おわり>
いつもお読みくださってありがとうございます。過去作品を紹介しています。今日は、書き手としての私の「炎」についてのエッセイを。
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