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やさしい海、革命/Floating words tea

 部屋に戻った私は、ギャラリーの女の子からもらった文庫本を本棚に仕舞う。

 整理整頓はニガテだから、偶然指を置いたところへ。だいたい、このあたりかな。
 それにしても、たくさんの本を集めてしまったものだ。
 調合の本、手相占いの本、失恋の本。
 嫉妬の本、最果ての本、おしゃれなZINE、と。
 世界文学全集。
 それから、——何も書いていない本。

 すべての本にタイトルがあり、当然その中には文字がびっしり並んでいる。けれど、ふしぎなことに、まじめに読んでもまったく意味がつかめない本というのがある。
 砂が指のあいだからこぼれ落ちるように、さらさら七色に光りながら意味が流れ去っていく。価値があることだけは、分かっているのだけれど。

 もっとふしぎなこともある。以前は分かったと思っていた本が、再び表紙を開いた時、すっかり分からなくなっている場合さえある、ということ。

 まるで何も読めないのなら、「何も書いていない」ようなもの、つまり、白紙と同じだ。

 本は、何度でも白紙になる。

 時おり本がそんなふうにならなければ、人は「考える」ことをしなくなってしまうような気がする。
 同じ本を何度も繰り返して読むという人たちがいるけれど、その人たちはきっと「考える」ことが好きなのだと思う。

 あるいは「考える」ふりをしながらこっそり舌を出しているのかもしれなくって、傍目にそれを見きわめるのはちょっと難しいけれど。

「何も書いていない本はね、海みたいなものだ」
 って、賢い同居人が言っていたっけ。

 ……あ。目の前にまた、本のタイトルが、すう、と消えていく本がある。あわてて手に取り、中を開いて見ると——

 バン!
 大きな音が鳴って、銃口の先にカラフルな旗がはらはらとはためいた。

「……わ。」

 あぶなかった、これはおもちゃのピストルだったから良かったものの。
 たしかこれは、まだ世に出ていない作家さんの本。

 どの本だって誰かの一生を変えてしまうほどの革命家だ。
 やさしく、美しくて、読むたびに生き返る。
 あるいは、生き返らせてくれる。
 
 私は同居人に電話をかけるが繋がらない。留守をお願いしていたというのに姿が見えないなんて、いったいどこで何をしているのやら。

「ただいま海へバカンス中です」
 メッセージがそう言って切れた。
 
 海、か。

 私はサボテンに水をやり、カップにお湯を注いで、紅茶の袋がぷっくりとふくれていくのを見物した。琥珀色の波が、ざぶん、とさざめく。

 濃い香り漂う空の向こう、ことばの海に、物思いのボートが、揺らぎながらゆっくりと流れて行く。

 おーい、と私は彼の孤独に呼びかける。やさしげな革命の波の先に、ほんのすこし虹がかかって消えた。





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