「へレディタリー/継承」感想~米国の家族意識に対する批判?~
こんにちは。KENTAです。最近日本各地が梅雨の兆候を見せてきて、気温も上がってきましたね。まだ5月ですが、そろそろ夏が近づいているのでしょうか。そんなわけで今回は暑い夏を過ごすであろう我々をゾッと冷やしてくれるホラー/スリラー映画「へレディタリー/継承」をご紹介します。
0,基本情報
・監督:アリ・アスター(後に「ミッドサマー」)
・日本公開年:2018年
・上映時間:2時間5分
・配給:日本→ファントムフィルム、米国→A24(最近だと「ミナリ」で有名ですね)
1,予告編
2,あらすじ
グラハム家の祖母・エレンが亡くなった。娘のアニーは夫・スティーブン、高校生の息子・ピーター、そして人付き合いが苦手な娘・チャーリーと共に家族を亡くした哀しみを乗り越えようとする。自分たちがエレンから忌まわしい“何か”を受け継いでいたことに気づかぬまま・・・。
やがて奇妙な出来事がグラハム家に頻発。不思議な光が部屋を走る、誰かの話し声がする、暗闇に誰かの気配がする・・・。祖母に溺愛されていたチャーリーは、彼女が遺した“何か”を感じているのか、不気味な表情で虚空を見つめ、次第に異常な行動を取り始める。まるで狂ったかのように・・・。
そして最悪な出来事が起こり、一家は修復不能なまでに崩壊。そして想像を絶する恐怖が一家を襲う。
“受け継いだら死ぬ” 祖母が家族に遺したものは一体何なのか?
3,感想前置き
アリ・アスター監督の長編デビュー作である本作、見終わった後の率直な感想として「よくわからない」と思う方も多いのではないでしょうか。(実際解説サイトなんてものも存在するくらいですからね。)私はアスター監督の作品は「ミッドサマー」を先に鑑賞したので、その鑑賞が終わった際に同じ感覚を持ちました。アスター監督は、本作とその後に公開された「ミッドサマー」はほぼ同時期に製作したとインタビューで語っていますから、可能であれば同じタイミングで2作続けて鑑賞することをお勧めします。前置きが長くなりましたが、それでは感想行きましょう。まず、本作の物語展開における私の解釈や確認できた伏線等を示した後、作品全体の感想を述べるという流れで進めていきたいと思います
※ここから先は本作だけでなく、「ミッドサマー」のネタバレを含んでいます。
4,解釈・伏線チェック(ネタバレ注意)
まず冒頭、窓からのぞいた小屋(後からわかったのですが、ラストに繋がる超重要な伏線でしたね)からおそらくトニ・コレット演じるアニーが作ったと思われる家の模型に徐々にフォーカスし物語が始まります。まるで鑑賞している我々がカメラマンとして、この家族を撮影しているかのようですよね。これは虚構の世界を映すものでしょうか、それともホームビデオのように事実を記録するものでしょうか。子どもの頃にシルバニアファミリーのお家で遊んだことがある方なんかはイメージしやすいかと思います。
物語の流れとしては、アニーの祖母エレンが亡くなるところからスタートします。葬儀の後アニーはエレンの遺品を整理しますが、段ボールの中から「スピリチュアリズム(心霊主義)について」という本を見つけ、本の中からエレンの遺書と思えるような手紙を見つけます。
※スピリチュアリズム:人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し続けるという考え。
引用:goo辞書
手紙では「犠牲は恩恵のためにある」という文が記されていました。この犠牲とはぺイモン復活にために一家が払う犠牲、恩恵とは地獄の王ぺイモンを呼び起こすことだと思われます。(伏線)
話を進めて、ピーターとチャーリーがパーティーに向かう際に移される棒について、これよく見るとぺイモンの紋章が記されています。エレンによってぺイモンの精神を受け継いだチャーリーはここで頭を落として命を落とす運命だったのですね。(伏線)
物語終盤では、アニーの夫、ガブリエル・バーン演じるスティーヴンはアニーがチャーリーの絵描き帳を火の中に入れたことで焼死してしまいます。ですが、それより前にアニーが絵描き帳を燃やそうとしたときにはアニーの衣服に火がついていましたよね?なぜ焼却対象が変化したのか。これはぺイモンの復活に必要な三位一体を拒む犠牲に母エレン、娘チャーリーと同じ血を流すアニーの犠牲が必要だった、そしてアニーの夢遊病やピーターの危機を必死に訴えたアニーを理解してあげなかったことに対する粛清/報復だと考えられます。繰り返しにはなりますが、本作はアスター監督の次作「ミッドサマー」とほぼ同時期に作られた作品で、次作はアスター監督の失恋という実体験ベースに物語が進行していますので、これが次作へのメタファー、パートナーに必要なのは理解ではなく共感で、次作でそれを示すことの伏線のようにも見えます。実際「ミッドサマー」も最後に男性のパートナーが焼却されてましたからね。
私が本作鑑賞で一番怖いと思ったポイントはジョーンと大切なものを失った者たちの会です。本作における黒幕的存在はこのジョーンで、この人物はエレンと親交があり、地獄の王ぺイモンを復活させようと動いていたことが明らかになります。ですが、ぺイモンというのは「地獄の8王」の一人にすぎないのです。大切なものたちを失った者たちの対話の会に参加する人々はある意味過去に囚われている・呪縛されている・固執している者たちですので、捉えようによっては救済とも取れるかもしれませんが、あの会に参加している他の者たちももしかしたらジョーンによって………
この先は鑑賞された方のご想像ということで。
5,全体の感想
全体として、アリ・アスター監督の実体験がストレートに反映されたように感じました。初見だと何をしたいのかわからないアスター監督の作品ですが、彼のキャリアをみると彼の思考を読み解くことができます。「The Strange Thing About the Johnsons(原題)」という短編では父子の性的虐待の話を、「Munchausen(原題)」という短編では息子を溺愛する母親の狂気の物語を手掛けているそうで、本作「へレディタリー/継承」は自身の家庭環境を、監督の次作「ミッドサマー」では自身の失恋経験をベースに製作しているため、自身のバックグラウンドから得た教訓を、自身の興味「ホラー」(監督になる前にかなりのホラー映画を鑑賞されているそうです)と組み合わせた内容に仕上がっています。
後付けにはなってしまいますが、「あ、これ監督のことだ」というシーンが多くあるような気がします。例えば、アニーは終末医療や幼稚園、チャーリーの事故現場など自身にとって衝撃的またはトラウマとも思える出来事を芸術作品に落とし込んでいますが、これは自身の経験から本作を製作した監督と完全にリンクしますよね。
他にも、ピーターがマリファナの話をしたり、大切な者を失った者たちの対話の会で過去に囚われた人たちが集まったり、最終的にはエレンやジョーンが組み立てたカルトっぽさに帰結したりとどこか依存性を感じる要素が登場しますが、監督は「作品を作らないと不安になる」とインタビューで語っています。
本作の結末は、スティーヴンというエレンの血を持たないものを排除し、エレン・アニー・チャーリーという同じ血を流す3人の頭をぺイモンを呼び込むための器と言わんばかりに切り落とし、男性かつエレンの血を流すピーターのもとにぺイモンが宿りました。儀式らしきものを行う小屋に向かうまでの道のりや小屋のなかにいた見知らぬ人物たちは歴代のぺイモン継承者かぺイモンの信仰者か、真実はわかりませんが私個人的にはこのシーンはアスター監督とそれを囲む撮影スタッフのように見えました。本作のテーマは血統の否定も一つあると個人的に思っています。米国の学生(高校生まで?)は基本親に送り迎えしてもらい、パーティーなどで外出するときは必ず親に伝える。日本だと高校まで自分一人で登校したり、帰りにどこかへ寄り道していく方が多いのではないでしょうか。ここでは家族に依存する米国の風習を批判するために、同じ血を流すものは顔を消し、「三位一体を拒み~」なんていうセリフを入れ、それ以外の者を寄せたのだと思います。
本作、世間一般的なイメージと対照的な表現も目立ちます。例えばあまり口を開かないチャーリーに関しては葬儀中に絵描き帳にアニーの絵?を描いたりチョコレートを食べたり、衝撃的なのは教室の窓にぶつかって死んでしまった鳥の頭をはさみで切り落としましたよね(これも伏線だと思います。)。昼間で光量も十分あるのにとても不気味です。グラハム家全体で見ても、米国人は日本人と比べて本音を直接口にする人間性らしいですが、エレンはアニーに多くを語らず、ピーターはアニーによってエレンから遠ざけられ、チャーリーは基本的に無口と内向的な行動や性格が目立ちます。固定的なイメージの破壊がこの設定の根幹にあるのでしょうか?
また、皆さんは本作の結末を見て、人間の死についてどのように考えたでしょうか?地獄の王ペイモンとして自分の体をのっとり自分の体で他人に害を与えるくらいなら他の者のように死んだ方がましだと思えないでしょうか?個人的な感覚かもしれませんが、死に対する過剰な拒絶・否定派の死生観を変革する意図もあるような気がしています。「スターウォーズ」や「エヴァンゲリオン」などの作品も「肉体と霊は別」というスピリチュアリズム的な設定がありましたが、例えば「スターウォーズ」でフォースゴーストが生存しているジェダイに教えを説いていい影響を与えていますから、生が絶対良くて死は絶対悪とは言い切れないのかもしれません。
6,最後に
本作「へレディタリー/継承」や「ミッドサマー」を鑑賞して思ったのは、私がホラー映画を好んで鑑賞しているのも、幼少期の自分の人間関係や生活が上手くいっておらず、他人の人生の破滅を見るのが楽しいというサイコパス的な発想が多少なりとも入っているのかもしれません。そういった意味では、ホラー映画は鑑賞者を恐怖のどん底に陥れるというよりかは誰かの支えや救済にもなり得るのかもしれませんね。
以上、「ヘレディタリー/継承」の感想でした~