「スパイダーマン3」感想
2007年の映画
監督:サム・ライミ
時間:2時間19分
1,あらすじ
ピーター・パーカーはついに憧れの女性メリー・ジェーンと交際するまでになり、ニューヨークの街はスパイダーマンへの熱狂真っ只中。しかし、謎の生命体シンビオートにスパイダーマンスーツを黒く染められると、彼の中の暗く邪悪なものが顔を出し、同時にスパイダーマンの心も変えられてしまうことに。彼は命を脅かす様々な悪党たちだけでなく、自分という敵とも戦うことになる
引用:アマゾンプライムビデオ
2,感想
サム・ライミ版三部作の最終作となる本作だが、完成度がさすがの一言だった。
まず、MJとの恋愛劇について
MJはなぜ幸せ絶頂の状態からピーターとの間に溝ができるくらいになってしまったのか。
それは同じステージに立てていなかったからではないかと私は思う。
2にて、無事演者となれたMJと、真実を打ち明けてヒーローだと理解されたピーター。
二人とも、同じ土台に立っていた。
3にて、スパイダーマンはヒーローからスーパーヒーローになり、親愛なる隣人から街の英雄になった。
一方、MJは舞台から下ろされて再び職探しをすることになるところまで落ちてしまった。
同じ人間にもかかわらず、お互いの正体を知っているのにもかかわらず二人のステージは異なってしまった。
この二人であれば、男は女を思い、女は男の決断を尊重して支える。
MJも、シリーズを通してスパイダーマンを助けるためにヴィランに攻撃を仕掛ける描写が見られた。
その対等関係が崩れた。故のいざこざであった。
人間関係において、価値観はさておき対等関係の重要性を教わった瞬間であった。
やっぱりサム・ライミ版は人間教育だったのである。
その人間教育だが、メインは「自分との戦い」であった。
本作では、謎の生命体シンビオートを使って、ピーター自身の憎しみや怒りと戦わせた。
ベンおじさんが殺されたことや、ハリーがMJを利用し彼女を危険にさらしたこと、スパイダーマンの名誉を毀損したブロックに腹を立てたこと、このような出来事で、ピーターの内に秘められた怒りや憎しみが表に晒された。
が、ピーターが内包する負の感情で一番強いものはベンおじさんが殺されたことだろう。
彼を殺した犯人に対する憎悪、復讐心。
そんなことは望んでいないと言うメイおばさん
ヒーローの観点からはスパイダーマンVSシンビオートの黒いスパイダーマン
人間の観点からは穏やかなピーターVS復讐心むき出しのピーター
の二方面展開。
そしてヒーローとして自分を律し、立派な一人の人間として自分を見つめ直した。
赤いスパイダーマンに戻り、ヒーローとして復讐心を犠牲にして(ヒーローは時に何かを犠牲にしなければならないという2のメッセージの継承?)犯人を許した。
ピーター自身の成長の表れでもあるだろう。
前作のラストで、ハリーがヴィランとなるかのような演出をし、実際中盤まではヴィランだったが、なんと最後の最後でスパイダーマン(ピーター)と共闘するという胸熱な展開が残されていた。
ヒーローと元ヴィラン、親友タッグの想像の斜め上を行くストーリー展開。
難しい言葉はいらない。かっこよかった。
ハリーの死に方も、父と同じような刃物によってのものだったが、父とは違って勇敢で立派な戦士として死んだ。(1からの要素)
おなじような死に方だったが、最終章にふさわしい進化した最期を見せてくれた点に関してはあっぱれの一言である。
ヒーロー像的な観点から、周囲からの大々的な賞賛や誇りを手に入れたことがなかったパーカーはいい気になってしまったが、最後は愛する人を救うため、弱者を救うためそして街の危険を脅かす者を倒すために一人で立ち上がった。その後同志がついてきた。
最後を締めくくるにふさわしい統一感とストーリー展開であった。
サム・ライミの人間教育授業に賞賛を。