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言葉を考えてみる

言葉は美しい。特に、日本語の美しさは母語であることを誇れるほど美しいと感じる。

例えば、日本語の一人称は、私、僕、俺、うち、あたし、あたい、わし...と使われていないものを含めばかなりの数となる。それに比べ、英語の一人称は”I”のみ。

この多様性は、私が日本語を美しい感じる要因の一つである。ふとした瞬間に感じる日本語の多様性は私達の感性に大きな影響を与える。

その一つが性だ。日本語は話し手の性別によって言葉を変えており、私たちは、言葉の使い方で性を知ることができる。

「俺は、昨日唐揚げを食べた。」

この文を読むと我々は話し手を男性だと認識するだろう。

「私は、昨日唐揚げを食べたのよ」

一人称で男性か女性かを判別できなくとも、語尾を見れば大抵の人が性別を判別できる。つまり、言葉の使い方で性を無意識のうちに分けているのだ。

映画やアニメなどのメディア媒体でも、顕著に分けている場合が多い。男性は男性らしい言葉遣い、女性は女性らしい言葉遣い。言葉が生み出す性。私たちの価値観に多くの影響を与えている。

時として、男性が女性らしい言葉遣いをすることで雰囲気を和らげる、女性が男性らしい言葉遣いをすることで自分を強く見せるような言葉の使い方をすることもあると言われている。

しかし、この多様性は使い方を間違えると、時として毒となり、差別や偏見、誤解につながるのではないのか。

問題は意外と気づかない日常に潜んでいる。使っている言葉に少し意識を向けることで何か気づくことがたくさんある。

新たな発見は身近な場所から。


おわり。



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