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34歳、人格障害と共に生きる。Part1
自己紹介note📓
見て下さってありがとうございます😊
スキ♡も沢山ありがとうございます😊
さて、今回はわたしの病気について
紹介していこうと思います。
※引き寄せられやすい方はご注意ください。
まず結論から申し上げると、
わたしは人格障害/アダルトチルドレンです。
発覚したのは約一年半前。
〜生い立ち〜
父22歳、母29歳の時にわたしは生まれました。
父は初婚、母はバツイチで母が働くスナックで出会い交際が始まるも長くは続かず、別れようとした矢先に妊娠が分かり結婚に至ったそうです。わたしが生まれる前に一人流産している事も、後々母から聞かされます。
そしてわたしが生まれ、2年後には弟、その1年後には妹が生まれています。わたしは長女です。
我が家は当時、4世代 9人の大家族でした。
わたしから見て、父母、父方の祖父母、祖父方の祖父母、そしてわたし達兄弟です。
母と父方の祖母とは嫁姑の関係にありますが、仲は良かったそうです。祖父方の祖母がキツイ性格の人間であった事も後々知りました。
母は専業主婦。父と父方の祖父母は働きに出ており、家に残るのは母と祖父方の祖父母と幼いわたし達。全くの他家に嫁ぎ、その上義理の家族が幅をきかせている。それは肩身の狭い思いだったと思います。専業主婦と言っても、炊事や洗濯などの家事はほとんど祖母がしており、保育園のお迎えなどは祖父がしてくれていましたので、母は特に何もする必要が無かったのです。今思えば、この行動がいけなかったのでは?と思います。何もしなくて良い母は一日中ゲームをして過ごし、夜は日本酒一升瓶を抱えて吐いては飲んでの繰り返し。恐らく母のストレス発散法がそれだったのでしょう。わたし達がワチャワチャ遊んで居ると、うるさい!どっか行け!などと暴言を吐くようになり、それが次第にエスカレートして虐待に繋がりました。気に入らなければ怒鳴る、殴る、蹴る、いつも鬼のような顔をしていて、わたしは母が笑った顔を知りません。
妹のオムツが限界なのに取り替えないなどもありました。完全なネグレクトです。
しかし母をそのようにしてしまったのは父です。
当時、給料は手渡しで給料日になると家に帰って来なくなり、給料は全て使い果たしてしまうのです。母は自由なお金も持たせてもらえず、父に意見をすれば殴られる始末。そう言った色々なストレスがわたし達子どもに向けられたのだと思います。
そしてわたしが小学校2年生の時、母は突然居なくなりました。祖父母には買い物に出たきり帰って来ないと聞かされましたが、数日も帰って来なければ小学2年生のわたしでも察しが付きました。
ああ、母はわたし達を捨てたのだと。
その後、親権などの関係で少々揉めたりもしたそうですが、祖父が子ども達全員を引き取れないなら全員置いて行け。の一言で解決したようです。
なんでも、母は一番下の妹だけを連れて行こうと考えていたようで。理由は、わたしがおじいちゃんっ子で弟がおばあちゃんっ子で、妹はどちらにも当てはまらなかったからと言うものでした。
父と母が離婚をし、親権は父方の祖父母に移りました。特別養子縁組です。
父はと言うと、相変わらずの生活振りで、わたし達を祖父母に預けたまま自分は悠々自適に過ごしておりました。
授業参観には祖母がやってきて、当時はまだ離婚やらシングルマザーなるものが浸透していなかったので周りの目がとても痛かったのを思い出します。遊びに行って帰りが遅いと祖父が車であちこち探し回り、見つけるやいなや友達共々ド叱られました。
当時はこの生活がとても窮屈で、周りの友達をいつも羨んでおりました。
父はたまに帰ってくると、わたし達をまるで奴隷かのように扱ってきました。言うことを聞かなければ持ってる箸で叩かれたり、母同様サンドバッグのように憂さを晴らす毎日。
そしてまた突然居なくなる、と言うのを繰り返しておりました。これほどまでに子どもに愛情が無い父母が存在するんだ、これがわたしの両親なんだと思うと何とも言えない気持ちでした。
一方の母は、離婚後は一度実家に帰り、新しいパートナーを見付けたようでした。
小学校の運動会、学芸会などにはお忍びで来てくれていましたが、わたしはどうしても母を許す事が出来ませんでした。でも、わたし達の成長を楽しみにしてくれている所は父と違い、なんやら照れ臭いような恥ずかしいような嬉しい気持ちもありました。
当然父はわたし達の行事には一切関心無し。
そんな時も遊んでいたのでしょう。
父と母の違いが分かった瞬間でもありました。
そんなわたしも祖父母のおかげで、習いたい事ややりたい事をさせてもらいながらスクスクと成長し、小学校を卒業します。
習い事ややりたい事は基本何でもさせてくれました。もちろん兄弟皆平等に。弟は少年野球、妹は姉(わたし)がやってるからやろうかな〜ぐらいの感じで、3人とも全然性格が違うので祖父母もかなり苦労したと思います。
次回Part2では、更に過激な発言が出てきます。
そしてわたしが病気になった本当の理由などを偽りなく書いていこうと思います。有料記事になりますが、良かったら購読お願いいたします。
Part2に続く…