【4/10】笑えない泣けない夜も味方でいるから
4/10 (水)
英語の授業を入れていたけど、まだ履修登録期間なのをいいことに、むしゃくしゃして全休にしてしまった。
ちょっといっぱいいっぱいだった気もするので、これでいいと言い聞かせている。
とにかく何もかもが嫌!
という感じの日で、母親に
「割れている食器なら割ってもいいよ」
とまで言われる始末。
「そういう日は好きなものを好きなだけ食べまくれ!」
というありがたいお言葉を胸に、スーパーで目に付いたものを手当たり次第カゴに入れた。
もちろん、お会計は母親の財布で。
夜はバイトだったけれど、忙しくもなく穏やかに終わった。
後輩2人と一緒だったので、ちゃんとできて安心した。
2人ともとても良い子で本当に信頼しているし、大事にしたいと思っている。
社員さんからは頼りにしているよ、という言外の?メッセージをいただき、また頑張ろうと思った。
がんばる、と
無理をする、と
挑戦する、は
なんだか混ざったり分かれたり、くっついたり離れたりして、私には取り扱いが難しい。
特に、がんばることが無理をすることと一緒になってしまいがちで、私はいつもがんばることをやめてしまう。
だから、いつもがんばれない自分を責めたくなるのだけれど、全くがんばっていないわけではないんだよな、と思う。
無理をするのは良くないと思っているけれど、無理が必要な時があるのも理解できる。
そして、がんばりには時には挑戦が必要なことも。
ぐるぐる考えたあかつきに、いつも、
まあ、いいか、ほどほどで。
と、落ち着く。
少し話は変わる。
決して身近ではないけれど、全く遠いところにいるわけではない、そんな人たちがここ数週間にぱたりぱたりと亡くなっている。
私は尊厳死に賛成で、自分自身も然るべき時が来たら、苦痛のない状態で死なせてもらいたいと思っている。
し、周囲の大切な人に対してそういう決断が必要になったら、本人の意思に添いたいと思う。
その上で、尊厳死を彼らが望むのなら、私は医師に生命維持装置を外すようにお願いするだろう。
だけど、そんな人道的で倫理的な思いの裏で、私の大好きな人たちには、できる限り死に抗って、生きていて欲しいと思っている自分が、最近いる。
そんな自分に少しびっくりした。
決して、苦しんで欲しくはないのだけれど。
誰かの訃報を耳にするたびに、
お願いだから、簡単に死なないで
と切実に願っている。
これ、わりと人として普通か。
他人に対してこういう執着を抱いている自分を変に思いつつ、幸せなことだとも思う。
むしろそう思う。
家族、友だち、恋人、その他大勢の善人、
簡単に、死なないでね。
〜今日のタイトル曲〜
♪KISSして / KOH+
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