バジーノイズ
まず違和感を感じず映画をみれて感動してる
最近は映画をみるのは結構きつくなることが多くて2時間集中して通せたことに感動すらしてる
登場人物たちが魅力的で特に潮はバッファロー66のレイラのように天使でありベティーブルーのベティーのように少し破天荒で掻き乱す女の子で印象的
わたしには潮のモデルとなる人物がいるように思えたけどどうだろうか(原作は未読)
でも実際に潮みたいな子いる 周りをやたらと掻き乱して突如として消えたりする読めない子実際に知ってる 何故かわたしはこういう人のことが魅力的に映るんやけど映画でもキーパーソンになる
フライパンで清澄の部屋の窓ガラスを割ってしまうシーンは独りの清澄の世界を壊すメタファーである 映画的で漫画的でドラマティックに感じるし非常に印象的なシーンである
あと潮が突如としていなくなるシーン
かもめが飛んだのカラオケのシーンからわかるようにもう清澄は前の清澄じゃない、1人で生きれる、わたしは必要ないし鬱陶しお節介だ、嫉妬もしちゃうし清澄も遠くにいっちゃうみたいで寂しいみたいな複雑な気持ちになるってところ
潮は極端な性格やから去る行動をとるけど自分の感情の扱いが難しいのよね 潮って青くて不器用でまるっと愛おしい
拓実は清澄の生き写しかと思うぐらいでこっちもびっくりした 多分拓実は清澄とかなり向き合っていたと思う
わたしはJO1のファンなので余計に感情移入したのもあるかもしれないそれを差し引いたとしても刺さるものがあった
彼がインタビューで塞ぎ込んでいた時期があった音楽さえあればと思っていたというインタビューをしていた記事をみたけど(曖昧ですみません)
実はわたしも昔音楽や映画にのめり込んでいた時があった
狂ったように一日中暗い部屋で映画をみあさっていた外を歩く時はかならずヘッドフォンをして爆音で音楽を聴いて
音楽や映画を聞いたりみている時だけ息が出来るような気がしてそこに自分の世界があった
ノイズや葛藤をヘッドフォンから聴こえる音楽でかき消してそこに逃げるようにして、映画の主人公に自分や自分の人生を投影して癒していた
外の世界が煩わしくてこわくてそうしないといけなかったという経験がある
わたしは清澄みたいに孤高の天才じゃないけど清澄が抱えている苦しみはわかる気がしていてもたってもいられなかった
清澄にも、その奥の拓実にも感情を重ねてしまった
潮(他人)の存在はノイズでさぞかし怖かったことだろうと 眩しすぎてこわくて不安で
でもそのとんでもないエネルギーのおかげで清澄の人生は変わり出して羨ましく思う 私の人生に潮みたいな人間は現れてないから
でも人との関わりを避けていた清澄がどんどん心を開いていく様、気持ちの変化が多くを語らなくとも感じることができた
愛おしいぐらいに潮と清澄や他の登場人物も素敵だった
これはしばらく引きずる多分
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