見出し画像

自分を見つめなおすこと。他人に見つめられること。


パリの写真美術館に行ってきた。
この写真…怖い。

みんな自分と踊っている相手のことなんざ眼中にない。周りの目を気にして踊っている。どこかの誰かを睨みつけるような目。

私たちは常に人の目に晒され、誰かに評価され、一方で自分もその他人と同じことを繰り返して生きている。


人は物事を比較的自律して行うことは出来るけれど、そこには必ず他者の介在があり、最終的に多くの事柄は社会に評価されるか否かというところに落ち着く。

例えば自分で完結しているようなイメージの自己啓発でさえ、多くは他者が評価した何かをわかりやすい形で取り入れ、それをどこかでアウトプットすることで他者から評価がなされてるように思う。


要は私たちはどこかしこの「目」からは逃れられないのだ。


またそういった評価の1つとして自身の自己評価というものも存在する。


上の写真以外にもその美術館には何点か惹きつけられる作品があったが、
その中に「名前」について考えさせられる作品があった。

絵画や音楽の作品には「名前」や「題」がつけられている。その中には作者がつけたものもあれば、他者が後につけたものもある。

この作者自身が付ける「タイトル」こそ自己による評価なのではないかと思った。

自分で作品を評価し、それを「タイトル」としてつける。

その評価は他者の目に多大なる影響を与え、気づきを促す一方で、解釈の余地を狭める。


これは絵画や音楽といったものだけで起こりうることではない。我々も同じである。

自身による自己評価は他者に「自分はこういう者である」という気づきを促す一方で自分の新たな1面に気づいてもらう可能性を狭める。

これは大きな機会損失なんじゃないかと思う。

就活市場で自己分析だなんだと騒がれる時代。ものが溢れかえって大事なものを見失う時代。
自己分析や自分探しの一人旅ももちろん大事だけれど、それは自分の尺度で自分を見つけ出すことでしかなく、新しい他人による気づきを制限してるんじゃないか思う。


自分自身も就活生予備軍だが、就活生だけでなく、どんな人であれ、なりたい自分、ありたい自分が見つからないと嘆く人は自分探しを1度まだ見ぬ他者に委ねていこうというマインドセットを持ってみてはいかがだろうか。
まだ見ぬ彼らだからこそ、まだ見ぬ世界へ連れて行ってくれることもあるのだから。

いいなと思ったら応援しよう!

奥村 嘉之/WineHacker
これからもワインに関する記事をuploadしていきます! 面白かったよという方はぜひサポートしていただけると励みになりますのでよろしくお願いします。