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【幸せのハードル】ハードルが低い事ほど、幸せを感じるのは難しいと思った理由。

人生に行き詰り
暗闇の中を生きていた時に
よく見聞きしていたのが、

「幸せのハードルを下げよう。」

ってやつ。

言っている意味は分かるけれども、
長年腑に落ちなかった。

それが、昨日急に分かった気がした。


”ハードルが低い”と表現されているから
簡単な事のように思うけれども、
実際に”ハードルの低い事”で
幸せを感じるのは至難の業なんだと気付いた。


字面に騙された感。


『ハードルが低いことで幸せを感じるには
在り方を変える必要があるんじゃ?』


このことに昨日気付いて、
ようやく幸せのハードルについてのあれこれが腑に落ちた。


感謝と一緒で、
幸せだって感じようとするものではなくて

『幸せだなぁ。』

って湧き上がってくるものだと思う。



幸せのハードルが低いとされているものの中に、

・ふかふかのタオルを使う時
・気持ちいい風が吹いている時
・美味しい物を食べている時
・大切な人と一緒にいる時

などが挙げられていると思うけれども、
確かにお金がほとんどかからないという意味では
手に入れるのが簡単だし
ハードルは低いのかもしれないけれど、
人生に行き詰っていたり
心がやさぐれている状態の時には
とてもじゃないけど
幸福感など感じられることではないように思う。


幸せのハードルが高いとされているものに
どういうものがあるのか把握しきれていないし、
全てに当てはまるわけでもないと思うけれども
ハードルが高いとされているものには
外側に求める幸せばかりのような気がする。

〇〇が欲しい、とか、
△△に行きたい、とか。



「私の幸せのハードルは低いんです。」


そう言っている方々と
暗黒時代を生きていた頃の私との決定的な違い。


それは、在り方。


そして、

「私の幸せのハードルは低いんです。」

こういう事をわざわざおっしゃっている方は
コーチングや、何らかのビジネスをされている方がほとんど。


毎日幸せを感じながら生きている方はそもそも

『私の幸せのハードルって低いなぁ。』

とか、
幸せのハードルの高さの事など
いちいち気にしていないと思う。


在り方を変えるって
めっちゃ難しい事でもないと思うけれど
簡単な事でもないと思うから
低いハードルで幸せを感じるのは
難しい事なのかもなぁ、と思った。


なんか結局また
”在り方”というところに行きつくのか…。


そう、思った。









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