東京に向いてる人、向いてない人。
久しぶりに東京の街に行った。
目的は、2024年4月に新しくできた「ハラカド」に、グミッツェルを買いに行くことだ。
妻が整理券を取れたと言っていたので、せっかくだから子どもたちも一緒にということで、学校を休みにした。
我が家はこういうところは柔軟である。
無事に購入できた。
購入に対しての一人あたり6個までという個数制限はあるけど、整理券が取れても在庫があることが確約されているというわけでもない。
熾烈な闘いを勝ち抜いた人だけが手にできる極上のお菓子。それがグミッツェル。
これがまあ美味しい。
今までに食べたことのないような食感で、YouTubeとかにasmr動画がたくさん出回ってるので、気になる人は見てみてほしい。
グミッツェルの話題から変わって、帰りの車内で妻と話してたことが少し面白かったのでここにも自分なりの解釈を深めつつ残しておきたい。
グミッツェルを買った帰りの車中、唐突に妻が「東京にいると自分らしくいるのに疲れそうだよね」的なことを話し始めた。
これは興味深い話題だ。
要は、東京には誘惑がたくさんあるし、見栄を張るにしても上限がないからどこかで限界があるといった話。
東京は、誰もが一度は憧れを抱くような場所だと思う。
キラキラして華やかで人がたくさん集まるから活気もあって、ここが日本の中心なんだという自負を東京からは感じる。
だからこそ人の心を惹きつけて止まない街であり続けるのだろう。
私自身、東京の街を走る車を眺めながら、恐ろしい街だなと感じた。
クラウン、レクサスLSは当たり前として、アウディA8、ベンツSクラス、カイエン、ベンテイガ、カリナンなどなど、数々の高級車を、たった数時間の東京滞在の中で見かけた。
総額にすると億はいうに超える。
私が住む街ではあり得ない光景だった。
これを見て私は心の中で羨ましさを感じていたけど、妻が言っていた「見栄を張るにしても上限がない」はまさにこれなんだなと思う。
上には上がいる。
例えば、今の私がベンツEクラスを手に入れたとしよう。
現状の暮らしから考えればとてつもない高級車だ。鼻も天狗になって誰とは言わずとも見せびらかすように乗り回すだろう。
でも、東京の街に出てしまえば、ベンツEクラスなんかはざらに走ってるし、むしろそこがベースぐらいになってしまっている。
地方でいうところのN BOXのような存在だ。
ベンツEクラスで充分過ぎるほど満足できていたはずなのに、あっちにはベンツSクラスがいる。こっちを見ればカイエンがいるなんていう光景が日常的になると、ベンツEクラスでは満足できなくなってくる。
ホントに下らないことだとは思うんだけど、自分の幸せの軸を自分自身で持てていない人にとっては、東京は辛くなるだけだと思う。
刺激がたくさんあって誘惑も多い街だからこそ、自分にとっての幸せはこれだっていう核がない人は、いつも物足りなさを感じながら過ごすことになり、結果的に疲れてしまう。
私は典型的にそのタイプなので、たぶん東京の街は向いてない。
常に誰かと比べることでしか自分の心を満たせなくなったら終わりだ。
久しぶりに訪れた東京の街で、幸せについて考えるとは思いもしなかったけど、こういったちがう角度からの刺激とか気づきを得られたことは良かった。
私にとって東京は、いつまでも憧れの街であってほしい。
地方に住んで、たまに東京に刺激をもらいに行くぐらいの距離感の方が東京を嫌いにならなくて良さそう。
東京は何でもあるようで何もない街。