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月・帰路・Lost Days -4-

窓を見上げる昼下がり。
差し込む光が、怠惰を撫でて暖めている。

照らされる右足の更に下方、机の上に置いた携帯が、時おり振動して音を立てる。

わかったわかった。起きてるよ。
でも今日は振替休日だ。残念だったな。

誰にともなく呟き、また窓を見上げた。

空の色とは、こんな色であったか。
ついこの間までの空は、暴力的なまでに青く、そして白かった。
今見上げる空がこうも穏やかなのは、既に日が傾き始めているせいであろうか。

あ、夕陽、見に行こう。


起き抜けのポケットには愛車のキーとコインケース。
ああ、一応君も連れて行ってやろう。
ずっと震えていた彼を手に取り、働く世間を覗き見る。良かった。まだ向こうに戻る必要はない。

西に海の見える場所がいい。
夕陽は水平線に没してこそである。

日没は3時間後。下道で行こう。
そして途中でコーヒーと、あとアンパンか何かを買おう。

車内にはフェイバリットミュージック。
ボンネットに映る影は次々に色を変える。

左ポケットからは相変わらずの振動。
無視を決め込むことにしよう。
運転中である以前に、今この瞬間、何びとたりとも、今この瞬間を邪魔してはならないのである。

音楽が鳴り止み、健気な携帯を覗き込む。
世間は平日だから仕方がないとはいえ、休日まで君が手放せないとはね。
幸いにも、やはりまだ向こうに戻る必要はなさそうである。それなら君とは暫しの別れだ。

少し歩いたところにベンチがあった。
ポケットには愛車のキー。右手にはアンパン。それだけ。それだけのこの時間がこんなにも愛おしい。

ベンチに座ってアンパンを喰らい、夕陽が沈むのを見送る。
夕焼けの空の色も、やはりこの間とは違うように思える。きっと、同じ色の空など一瞬たりとも存在しないのだろう。殊に夕焼け空は、走る車のボンネットの如く次々に色を変える。

地球の回るのはこんなに速いものか。と思う。
まるで、船尾に座って遠く離れていく今日に別れを告げるような、そんなことを考える。

今日は、今日に別れを告げるだけの日であった。
とはいえ、それすらできずに過ぎた日々を思えば、今日は十分に恵まれた今日だった。

さあ、帰ろう。帰りは高速使おうかしら。

なんてまた誰にともなく呟き、立ち上がる。

振り返ると、月が出ていた。

例えば、ふと「あ、夕陽を見に行こう」と思い立つ午後があって、それができるのなら、それはある程度の幸福なのだろうと思う。

そして振り返る先に月が見えたなら、それもまた、ある程度の幸福なのだと思う。

さあ、帰ろう。
明日には向こうに戻らなければならないから。

さあ、帰ろう。
帰りは高速を使って。



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