まねっこなのだよ
あ、どうも。最近ブログすらサボり始めたスケジュール真っ白マン改め、怠惰の極みマンです。
さてさて、最近嬉しいことがひとつあって、なんと、僕のブログに触発されてnoteを始めたって人が、二人も出現したのだ。一人は同僚で、もう一人は高校の同級生。個人情報保護のため紹介は差し控えさせていただきます。ごめんね。
で、つい今紹介しないとか言ったのに書くんですけど、そのうちのひとつ、「たらたらにっき」って言うんですよ。既視感あるよねー。そう、これは明らかにオマージュってやつである。
ひとはこれを「パクリだ」などと愚かな批判をすることもあるが、僕は大歓迎。なんなら嬉しい。だって、僕が暇潰しで始めたブログを読んで、やってみたいと思ってもらえたこと。これほど光栄で、嬉しいことはない。
まあオマージュとパクりって同義じゃないので、彼らは決してパクったりしてない。まあでも、他人から着想を得て似たようなことをするのであれば意味は近い。
僕がこのブログを始めたのだって、(陰ながら尊敬している)先輩のブログを読んだからであって、僕も後追いである。先輩が僕と同じように歓迎してくれているかは定かではないが、まあ、多少のライバル意識でも持っていただけた日には、僕は梅酒ロックで晩酌をする。これは嬉しいという意味である。ちなみに僕はまーじでお酒のめない。二杯で潰れる。
ちょっと話が逸れました。つまるところ今回何が言いたいかというと、「パクり」というものは、現実社会に散見されるほど忌避すべきものなのだろうか。ということである。
僕の好きな曲のひとつに、GOING STEADYというバンドの「銀河鉄道の夜」という曲がある。高校時代に軽音部のバンドで演奏していた曲で、今でもそのメンバーとカラオケにいくと、最後はこの曲を合唱して(叫んでいる)お開きとなる。
で、それがなんなのだ。それはですね、この曲を聴けば恐らくお気づきになると思う。この曲のサビ、ある有名な別の曲にそっくりなメロディーラインなのだ。ここもあえて紹介はしないので、「銀河鉄道の夜」を是非聴いて、誰のどの曲とそっくりなのか当ててみてください。みんな暇でしょ。
これは当然、リリース時にはかなり批判を浴びたらしい。まあ、著作権法的にグレーというかほぼ黒だと思われるので、仕方がない。今のところ一応合法な楽曲ですよ。
法的にアウトなパクりは、そりゃ忌避されて然るべきである。法的にグレーな例で話をするのは無理があるので、例を変えよう。じゃあなんで話したのかって?思い出の曲をここぞとばかりに紹介したまでです。
よくある話で言えば、曲のカバーとか。最近では、これまた僕の好きなバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATION(以下アジカン)が、色んなバンドに自分達の曲をカバーしてもらった所謂トリビュートアルバムってのをリリースした。最近でもないな。少し前。
トリビュートアルバムでは滅多に聞かないけど、誰かの曲をカバーしたときなんかに、「自分で作れないからってパクりやがって!」みたいな評価は大抵見られる。僕も思っていた時期があったりした。
でも、カバーってきっとそういうんじゃない。僕は例のトリビュートアルバムを聴いたが、凄く楽しかった。同じ曲なのに、バンドが違えば全然違う。彼らは自分達の味付けで、自分達の表現で、アジカンを奏でていた。きっと他のカバーアルバムなんかもそうだろう。
既存の「良いもの」に自分の味付けを加えて「より良いもの」にする。これは至極全うで、恐らく社会、個人どちらの成長にも不可欠なものだ。ただし、そのことが各個人の権利を脅かすことがあるのも事実。だから著作権法があり、僕らはそれを遵守して創作にあたらなければならない。
ただ使い方を誤らなければ、この「まねっこ+α」の営みは、大きな力になる。
歴史を振り返れば、日本の文明開化からの躍進なんて、まさにこれである。欧米の技術、文化を、悪い言い方をすればパクり、それを日本の風土に合わせて改変して発展してきた。昨今、アジアの某国が「パクり大国」なんて揶揄されるが、産業革命を主導したイギリス以外、パクりなしではここまでの経済発展はなかった。と僕は思う。歴史にたらればはないけどね。
とにかく、「パクり」もとい「まねっこ」の力は莫大だ。法に触れぬ限り、これを活かさない手はない。良いと思ったものをまねっこして、自分なりに+αする。「まねっこ+α」を、僕は推していこうと思う。
そんなわけで、僕に触発されたという二人のブログを、僕はとても楽しみにしている。彼らの文章にはきっと彼らの味付けがあって、しっかり+αしてある。それを今度は僕が読んで+βしてやる。とか思ったりして。
何様だって感じですね。ごめんなさい。
僕も精進します