見出し画像

ビバ!皮算用!なのだよ

いやー。ジメジメしてますな。

あ、ご挨拶遅れました。久方ぶりです。僕です。

毎度毎度、更新の間隔が開く度に言い訳をつらつら書いてきたけど、今回は僕逃げない。逃げちゃだめだから。シン・エヴァまだ見てないんだけど、シンジくんは今回逃げたんだろうか。僕は逃げない。

率直に言えば、書くことがないから書いてなかっただけである。ここ数ヶ月、自分の将来のことを考えることがとても多かった。何を隠そう。僕は就活生なのである!

将来のことってのは、決まってないのである。だから、不確定。だからこそ、将来はわからないのである。自分の中でも答えの見つからない思索を繰り返し、結局ブログにまとめるに至らないのである。

そんな中で、ひとつ、新しい趣味ができた。趣味というか、なんというか。

それは、捕らぬ狸の皮算用である。

将来について具体性を持って考えようとすると、将来の自分はどんな生活をしているか、そして、何を持っているか、考える。車は買っているだろうか。家を買ったりするんだろうか。とか。

そんなこんなで、買えもしない車を調べたり、買えもしない腕時計を調べたり、買えもしない以下略、とりあえず色んな、買えもしない物を調べるようになった。

そんで、宝くじで大当たりしない限りは買えなさそうな超高級車に行き着き、この車買ったら維持費がすげえなあ…とか、大真面目に考えるのである。

はたまた、車が買えるだろ!って値段の腕時計を見ながら、これ買ったら、ユニクロの服なんて着てられないんじゃないか…とか、これまた大真面目に考えるのだ。

捕らぬ狸の皮算用ってことわざは、まあ、手に入らないのに手に入れたときのことを考えるなんて、無駄なことである。というような意味だと理解している。

まあ確かに、どう考えても買えない値段の超高級車を事細かに調べて、購入後のメンテナンスが大変だなんて憂慮するのはバカげている。滑稽である。コケコッコーである。言い過ぎじゃない?


でも、僕にとってこの時間は無駄ではなかったのではないかと思えるのである。

「捕れぬ狸」は、捕れない可能性がめちゃめちゃ高いだけであって、捕れるかもしれないのである。

宝くじ、当たるかもしれんし。めちゃめちゃ頑張ったらもしかしたら、富豪になっとるかもしれん。

こんなしょーもない妄想が、小さな光となって、将来を見通せぬ僕の心を照らすのである。やりようによっちゃ、奇跡的に、狸が捕れるかもしれないと。


無論、捕らぬ狸の皮算用はバカげていて、滑稽で、コケコッコーである。

でも、バカげていて、滑稽で、コケコッコーなことは、時に無駄ではなく、意外と役に立つものである。

皮算用は、バカげていながら少しばかりの希望的観測を僕に与え、滑稽でありながら僕を突き動かす原動力となり、そして、コケコッコーであった。


ビバ!皮算用!である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?