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イタリアでの滞在許可証の取得(その2)


背景

2024年9月18日、移住 (immigrazione) の手続きを行うために、私とは別の研究室のイタリア人教授と彼が雇ったパキスタン人ポスドクR氏と共に市役所 (prefettura) に行くことになった。その教授から、当日9:10にTermini駅周辺の Google map で指定された場所に来てくれと言われた。住所不定である中、申請に必要な住所証明書 (dichiarazione di indennità alloggiativa) をBooking.com の領収書とホステル側が用意した手書きの宿泊証明書で通そうとしていた。

もう一つの宿泊証明書の取得へ

当日の朝、次のホステルから宿泊証明書をもらおうと、急いで移動して問い合わせた。しかし、夜間担当者の彼では手続きができず、早くとも9時に来る新たな担当者が発行することができるらしい。それじゃ間に合わないと、私は昨日もらった手書き証明書を印刷しに大学へ向かった。

ドキドキの手続き開始

印刷後、無事にTermini駅に着いた私は、教授とポスドクR氏と合流し、電車で市役所 (prefettura) に向かった。そこは電車で20分の高層ビルが立ち並ぶ街であった。「なぜ首都ローマの中心地であるTermini駅周辺は近代的でないのか」R氏が教授に尋ねた。「そもそも街中に貴重な遺跡が多いし、地下も掘ることが難しいからだよ」

いろいろ話すうちに予約時刻よりも前に市役所へ着いた。既に30人くらいがまだかまだかと言って待っている。人々はしきりに建物の前に立っている係員に何かを問いかけては、横に捌けるということを繰り返していた。教授も人混みを分けながら進み、係員に話しかけた。とにかくここで待っていろと言われた。彼らは英語を話さないようだ。そればかりかスマホを見ながら、誰かとチャットしている。しまいには楽しそうに通話し始めた(笑)。仕事上必要な通話だったかもしれないが、不安で緊張していた心が和らいでしまった。

外で15分ほど待つと、9番または10番窓口を案内された。この二つのうち、どちらかが空いたら手続きを開始するというものだ。窓口の前の椅子には多くの人が座っていた。もちろん列など作っておらず、誰がどの窓口を待っているのか、教授が周りに尋ねていた。
そこで1時間ほど経ったあと、ようやく我々の番が回ってきた。まずR氏の手続きからだ。いくつか署名をして、何かの資料と、それを郵送する封筒をもらって手続きは終わった。
次に私の番だ。私は緊張でドキドキしながら、領収書と手書きの証明書を教授に私、事情を説明してくれと頼んだ。係員は不可解そうな顔をしていたが、問題なかったようだ。無事に資料と封筒を受け取り、手続きは終了した。なんだ、意外とあっけなかったな。おそらく教授がイタリア語でたくさん説明してくれていたのだろう。教授に感謝しながら帰路に着いた。

今回のイベントでパキスタン人のR氏ととても仲良くなった。ベテランポスドクの彼は、手続きをよく理解しており、次に私たちがやることも示してくれた。市役所でもらった封筒は、郵便局 (poste italiane) へ提出し、市役所宛に郵送する必要がある。その領収書が滞在許可証の代わりとなり、今後の手続きに重要であるそうだ。(←意味がわからない。なぜわざわざ郵便局経由で再度市役所に書類を提出しなくてはいけないのか…。)
この一日で全て終わると思っていた私は辟易し、イタリアも日本も事務処理は面倒だなと改めて思った。

今後の手続きは事務手続きはR氏と共に行う。心強い味方だ。しかし次の郵便局において、事務員の勘違いにより私たちは無駄な時間を過ごすことになった。
(その3)へ続く。




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