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近所のお葬式
近所の葬式がイベントだった時代はあった。村八分の残り二分は火事と葬式、だから葬式は隣近所が手伝うもんだったのよな、きちんと成仏してもらわなきゃいけないもんね。
不祝儀手伝いは食い手伝い。手伝う人の飲み食いは喪主が負担するから、酒も米も食材もどんどん持ってきて、女衆はどんどん料理するのであった。全部がお清めと供養。腹いっぱいを振る舞うのも供養のうち、謎理論。
1997年に義父が亡くなったときの葬式は、近隣のありとあらゆる人が押しかけて、遠方の親族が憤慨するくらいにはカオスだったなあ。なんか知らんが、気づいたらめっちゃ大きな葬式になっていて、底しれぬ田舎ブラックホールを見た。あれを越える田舎ブラックホールはまだない。
あれから時代の雰囲気が変わり、弔事すら家族内行事になり、コロナ禍でそれは決定的になったと思っていた。うちは、自分の係累は家族葬と決め、話し合いは済んでいる。
隣組。
生まれた土地で寿命を全うする人が多数派の田舎は、隣近所のやりとりが今でも濃密で、令和の今でも隣組が存在する。歴史の教科書で見たヤツだよ、隣組。向こう三軒両隣り、組長は周り番で、本年の組長は我が家なのであった。集金とか回覧とか掃除とか、そして不祝儀手伝いがある。
さて。
隣組で不祝儀が出て、喪主から手伝いを頼まれました。
地区内各戸にお知らせ配布と当日の受付、そして組長の私には「弔辞を読む」という特別任務、全体的に何時代なんだよ、すげえな、と思う。
手伝いの差配は組長の仕事だって言うからさあ。
仕事を休んでまで、と思ったのでサラリーマンの二軒には手伝いは頼まず。あと体調不良なお一人には当日受付のみをお願いした。
お知らせ配布は1時間かからなかったです。地区内をスタスタ歩いて回る。
会場受付は、不祝儀袋を受け取り、香典返しを渡す。
一人で25袋を預かってきた方は、段ボール入りの香典返しをお持ち帰り。葬儀社のスタッフさんがなれているから、台車で車まで運んでくれました。
山形は、その場で香典返しを渡して完結する方式。
だれかに香典を預けることを、「あつらえばち」と言い、これは一般的な仕様です。
コロナ禍以降の告別式参列は親族のみなので、一般焼香が終わると手伝いは終了。香典袋の束を喪主に渡して帰っていきました。
私は「弔辞を読む」があるから親族のみの告別式の一等地、以前なら葬儀委員長が座る位置に座ることになっちゃってアウェイ感半端ない、ひ〜。一番後ろに座りたいと言ったが司会者に却下されました、やれやれ。
手順に沿って進行、弔辞2通を読んできましたです。
日本赤十字社のと町長の。
誰も聞いていないから気楽、だって量産型だもん。
読んで焼香して、サックリ退場して帰宅。
量産型の弔辞なあ。日本赤十字社の弔辞は山形県独特らしい、死亡届提出時に受け取らなくてもいいらしい。我が家のは受け取らないことに決めた。
人生スタンプラリー、「弔辞を読む」クリアです。