見出し画像

感じたことを書き留めておくこと

最近、日記を書くなどしている。

去年の暮れに、無印良品で365ページ、日付だけが入っているまっさらな本を買った(『マイブック  ー2022年の記録ー』新潮文庫)。文庫サイズのこの本には各ページに縦書きで日付と曜日だけ書いてあるため手帳にしても良し、日記にしても良しという優れもので、自分で1冊の本を創っていくというコンセプトになっている。

言わずもがな忘れん坊な私は、今年に入ってからしばらくこの本の存在を忘れていたわけだが、成人式が終わった頃、この本の存在を思い出した。手帳が欲しかったのである。手帳といっても予定を記入するためというのとは少し違い、その日にやるべき、いわゆる「タスク」を書き出し、終わったら線で消していくという作業ができるものが欲しかった。買いに行こうかとも考えたが、ふとこのまっさらな本の存在を思い出し、しばらくは手帳代わりに使っていた。

しかし、年が明けて1ヶ月が経ち如月にならんとする頃には大学のテストも終わっていて、特にこれといって「やらなければ詰む」というタスクは無くなった。よって、しばらくこの本も引き出しに眠ることになった。この時の自分に、それなら日記帳として使おうという選択肢はなぜだか無かった。

ところで私は、若者のテレビ離れが叫ばれる昨今の流れに反してかなりのドラマ好きだ。ドラマを見ると、とにかく色々なことを考えたり、感動したりする。感情移入しやすく、影響を受けやすい性分なのだ。登場人物の発言、照明などの映像、背景、劇伴、脚本、演出など色々なところにいちいち心動かされてしまう、面倒くさい性分なのである。ツイッターだとか、このnoteに感想なんて書いてみたりするのもいいとは思ったのだが、それは躊躇われた。ツイッターだと少々文字数が少なくなってありきたりな一言二言に収まってしまうのがオチだし、noteに書くならば何度も推敲したり読んでくださる方のことを配慮した表現なども必要になったりするからだ。かといって、なんとも言えない、心を突き動かされるあの感情をその場限りで終わらせてしまうのは勿体無い。そこであの本に記録していくことにしたのだ。自分の日記帳ならば好きなだけ、好きなように思うところを書くことができる。てへへ、うれしい。

もちろん、本に綴るのはドラマの感想だけではない(ドラマの感想を日記帳に書くなんて意味ふみこと思われるかもしれないが、私にとってドラマの存在は大きく、様々な感情を引き起こしてくれる貴重な「体験」の場だから、私にとってその時の感情を日記帳に書き留めることは大切なのだ)。それ以外にも、もちろんその日にあったこと、考えたことの中から書きたいことはなるだけ全部、書き留めている。でももちろん、日記なんて毎日書けるわけがない(威張るところではないけど)。「書きたい!」と思ったときにその思いを書き留めている程度だ。自分への義務としてしまうとどうしても書きたくなくなってしまう。夏休みの宿題の絵日記じゃあるまいし、そんなことはする必要もない。書くことで自分を満たすという完全な自己満足で書いているに過ぎないけれど、時が経って読み返したときに少しでも書き留めた当時を懐かしく思ったり、その当時の感情を追体験したりすることができればなおのこと素敵かなと思っている。

今日はどんなことを書こうかな。











いいなと思ったら応援しよう!