「読者の品格」

僕には、毎週楽しみにしているものがある。週初めの憂鬱を吹き飛ばしてくれるアレ。みんな大好き週刊少年ジャンプだ。10年くらいの間、一度も買いそびれることなく、毎週欠かさず読んでいる。

(なぜ毎週欠かさずに読んでこれたかというと、パパが買ってくれるからだ。はじめは僕・弟が買って回覧していたんだけど、そこに父が加わり、少しのロビー活動が行われたあと、父が買う係になった(なってもらった)(いつもありがとう)。)

で、毎週「面白いな~」と思いながらページをめくるんだけど、特に楽しみにしている連載のひとつが、火ノ丸相撲という漫画だ。

あらすじだけサラリと書くと、

体重によって階級が分けられることのない、無差別級の格闘技である相撲。より「デカく」「重い」者が絶対の世界。横綱を目指す主人公の潮 火ノ丸は、誰よりも強い"心"、磨いてきた"技"を武器に戦うが、その"体"はあまりに小さい___

といった感じ。この漫画の良さは、なんといっても硬派なところ。相撲というモチーフを扱うだけあって、ものすごくアツい正統派スポーツ漫画だ。そして、キャラクターの背景、セリフ、ページの端々から、作者の相撲への愛が伝わってくる。同誌で連載されている「ハイキュー!」ほどの派手さはないけれど(ハイキューも最高だぞ)、腹の奥にずしんと響くスルメ漫画だ。

さて、この記事はネタバレを含むので、「火ノ丸相撲という漫画があるなんて、知らなかった」「名前を聞いたことはあったけど、読んだことないな」「もし無料で三話まで読めるとかなら、読んでみるんだけどなぁ」という方は、無料で三話まで読める公式ページへどうぞ。

読んでみたけど、「三話だけでは済まないぞ、どうしてくれる」という方はこちら(アマゾンの検索結果のページです)へ。僕にお金は入らないです。

単行本派の方、その他、反・ネタバレ派の方は、ブラウザの戻るボタンを押していただきたい。







さて、ここから先は、火ノ丸相撲を「とりあえず読んだ」or「熟読した」or「死ぬほど読んだ」という方へ向けて書いているんだけど、特に「今週のジャンプも読んだ」という方に向けて書いている。要は、中学生くらいになると、火曜の朝あたりに「今週のジャンプ読んだ??」って言って回る田中君とか山田君とか杉本君とかがいたでしょう?それです。今日の僕は。

それで、ちょっとした長さの文章を、慣れない手つきでわざわざ書こうと思ったのは、こういうツイートを見つけたからだ。

今週の火ノ丸相撲bot「今週の火ノ丸相撲
暴力問題に関して完璧な答えを出してるから全国民読んで」(ツイートには本誌の1ページが添付されてる)


添付されているシーンというのが、柴木山親方が暴力について鬼丸に語るシーンなんだけど(詳しくはお手もとのジャンプを。漫画の一部をネットにアップしてはいけない!という事はマジでその通りなんだけど、今は置いておいて)、僕が火ノ丸相撲を読んで持った感想とずいぶん違っていて驚いた。何がどう違うのか、何に驚いたのかうまく言えなくて、しばらくじっくり考えこんでしまった。

『柴木山親方が語っていることは、相撲界へ物申すためではなくて、ストーリーを通して読者へ何かを伝えるための、ちょっとしたスパイスだと思っていた……。物語世界の出来事を、現実世界のニュースにまっすぐ向けられたメッセージとして受け取ること。僕にとってはそれがなんだか「直接的過ぎて、いやらしい」と思えて、無意識に避けてきたのかもしれない……。』

というようなことを、モンモンと考えた。



たしかに、作者の川田先生は、(たぶんその相撲への愛ゆえに)現実の相撲界で起きた出来事とからめて物語をつくっている節がある。僕はそれを感じるたびに、川田先生はけっこう危ないことをしているんだなぁ……とハラハラしていた。何を恐れてハラハラするのかというと、「作品の持つメッセージが型にはまって受け取られてしまう事」と「それによって誤解が生まれるリスク」だ。

(自分でも、「作品の持つメッセージが型にはまって受け取られてしまう事」って、なんだ?もっとスッとかパッって感じで言えよ。と思うんだけど、思いつかないから、しょうがない。語彙力のある方は、コメントで教えて頂けたら嬉しいです。)

作品の持つメッセージが型にはまって受け取られてしまう」を別の言葉を使って言うと、「川田が自分の漫画を使ってこう言った」「最近の相撲界に対して火ノ丸相撲が言いたいのは、こういう事!」っていう感想を持つことを、読者が強いられてしまうんじゃないか……というようなこと(実際に、強いられているようだけど)。

実際は、「火ノ丸相撲の主人公が、弟弟子を叱るために手を挙げた。それについて、柴木山親方というキャラクターが主人公を咎めるのだが、その話の中で『暴力』と『品格』について語った」だ。「火ノ丸相撲という漫画が」「相撲界に」語ったことなのか「柴木山というキャラが」「潮というキャラに」語ったことなのかで、話は全然違ってくる。

それの何がアカンの?というと、物語の本筋を無視して「人を殴る奴は未熟者」という扱いやすい部分だけが切り取られ、僕ら読者がその言葉を振りかざして悦に浸れてしまうからだ。誰だって、TVに向かって講釈を垂れたくなるような、無邪気で幼稚な部分がある(あるよね???僕には、すごいあるんだけど…)。その無邪気で幼稚な部分の道具として火ノ丸相撲が使われてしまい、誰かを傷つけること。それを、僕は心配している。具体的に誰なのかって聞かれると、ちょっと言えないけど、無邪気で幼稚な部分(つまり、暴力性)によって放った言葉は相手を必ず傷つける。

無邪気で幼稚な部分に従って、なにかを振るうことは、拳であれ言葉であれ、それが”暴力”ってことなのでは?と思う。

それで、もっと心配なのが、誰かを傷つけることによって、川田先生が作品内で丁寧に丁寧に紡ぎあげてきた要素がぜんぶ無視されて、パァになることだ。そうなったら、本当にいやだなー……。

僕は、マンガの中のことは、マンガの中のこととして受け取ろうと考えている。もちろんマンガの外とリンクしている仕掛けはワクワクするし、そういう表現でしか生まれないものもあるんだろう、と想像できる。でも、マンガの中の出来事は登場人物が乗り越えていくものだと信じる、というのが、僕が自分に対して引くセーフティラインだ。これを超えると、僕は作中の言葉を使って現実世界に起きていることを捉え、裁いてしまう。自分の無邪気で幼稚な部分に従って誰かを裁くと、それは暴力になってしまう。これが読者である僕の「読者の品格」であり「暴力問題」だと思う。

火ノ丸相撲に登場したキャラクターで、最後まで悪役だった人物などいるだろうか(いや、いない)。ユーマも典馬も、初登場時はすんごい悪者だったと記憶している。でも、どんなに悪くてイヤなやつでも、ストーリーが展開するにつれて自分の弱さと向き合い、それを乗り越えて"いいヤツ"になったキャラクターばかりだ。そういう、「武道を通して変われる」という世界観や、「どんなキャラクターも見捨てない」という川田先生が、僕は好きだ。

作中で生まれる暴力に対して、鬼丸や冴ノ山やバトたち、そして蜻蛉切本人がどう向き合って、どう成長してくれるのか、とても楽しみにしている。


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