歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」悲運の女城主・お田鶴の方
19日の放送の大河ドラマ「どうする家康」では、遠江進攻の重要な拠点となる引間城の攻防戦が行われ、瀬名(築山殿)の親友で引間城の女城主・お田鶴の方の壮絶な討ち死にが描かれました。
ドラマでは引間城の位置関係が今一つ分かりづらかったのですが、場所は浜松城のすぐ近くで、後に家康が浜松城を拠点にしたことからも、戦略上重要な位置にあったことは言うまでもありません。
当初、家康は調略によって引間城を攻略しようとしました。城主である飯尾連龍は今川氏の家臣でしたが、家康側につこうとしていました。しかし、今川氏真によって粛清されてしまいます。
連龍の妻がお田鶴の方で、彼女は家康と敵対して敗れた鵜殿長照の妹でもありました。今川家への忠誠心が非常に強く、兄の仇でもある家康に対し、かなりの敵愾心を持っていたと思われます。
お田鶴の方は「女城主」として引間城を守り、家康からの投降の誘いにも応じず、徳川軍との戦いを決断します。そして、侍女たちと共に壮絶に戦って討ち死にしたと言われています。
家康は、お田鶴の方の忠誠心や勇猛果敢さに感服し、丁重に弔ったそうです。築山殿もお田鶴の冥福を祈って墓前にたくさんの椿を植え、それが椿姫観音として現在も地元の方に親しまれています。
ドラマに合わせ、私が運営するひとり旅応援サイト「旅道楽ノススメ」でも、お田鶴の方ゆかりの地を旅先ピックアップとして掲載しました。よかったら、ぜひご覧いただき、ご来訪の参考にしてください。
私が引間城跡を訪れたのは2017年で、当時「おんな城主直虎」が放送されていました。お田鶴の方の存在はその時初めて知り、「ここにも女城主がいたんだな」と興味深く散策させていただいたものです。
現在は、元城町東照宮が鎮座されており、境内には壮年期の家康と少年時代の藤吉郎(豊臣秀吉)の像があり、出世のご利益がある神社として人気を呼んでいます。
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