なつかしの鉄道乗りある記「岩泉線」第1話
鉄道~まえがき
旧国鉄時代に全国を網の目のように走っていた鉄道。国鉄の分割民営化の荒波を乗り切り、地方ローカル線や第三セクター鉄道として生き残ってきた鉄路が、次々と姿を消そうとしている。
ひとり旅でたくさんの鉄道を利用してきた中には、今は廃線となってしまったローカル線も少なくない。そんな鉄道の思い出を「なつかしの鉄道乗りある記」と題した紀行エッセイでご紹介していこう。
「岩泉線」第1話
岩泉線は岩手県の茂市駅―岩泉駅を結ぶ超閑散路線として有名だった。2010年の災害で不通となり、復旧されないまま2014年4月に廃止となった。
私が岩泉線に乗ったのは2001年9月の三陸ひとり旅の時だった。旅行のメインとして岩泉線乗車をプランに組み込んだのである。乗車前夜は宮古市にホテルを取り、早朝の出発に備えたのだ。
翌朝、ホテルを出発したのは午前6時。なぜこんなに朝早くに出なければならなかったかというと、これから岩泉線に乗車するためである。
岩泉線は3往復しか走っていないが、その1往復が朝の時間帯なのだ。それを逃せば、昼過ぎまで列車はない。すべて通学時間帯に合わせた時刻設定なのであるから仕方がない。
宮古駅のキオスクが朝早くから開いていたため、ここでパンを購入し朝食とする。待合室でしばらく待っていると、乗車案内があり、改札口が開いた。まずは山田線に乗って岩泉線の起点である茂市へと向かう。
改札の様子を見て「案外、乗客がいるんだな」と思ったのもつかの間、ほとんどの乗客は釜石方面へ向かう列車に乗り込んだ。私が乗る盛岡方面の列車は盛岡まで行かず、途中の川内駅で折り返し運転をする。これもおそらく、折り返し後は宮古に通う学生たちが乗り込むものと思われる。
乗客がいない・・・正確に言うと、私を含めて3人の乗客が乗り込んだのだが、一見してわかるように3人とも旅人、さらに言うならマニアである。これがローカル線の現状といったところであろうか。
まあ、折り返しまでは回送列車のようなものなので、乗客がいないのは承知の上で運転しているのであろう。発車ぎりぎりになって、ようやく地元の男子高校生が乗り込み、4人を乗せたディーゼルカーが出発する。
山田線のディーゼルカーは、手でドアを開けるタイプである。もちろん、私にとって初乗車となるタイプだ。シートも窓も一昔前の感じ。ますますノスタルジックになってしまう。
そういう思いと、このあと乗車する岩泉線への期待に胸をふくらませながら、車窓を眺める。宮古を出て、5分もしないうちに集落は途切れ、やがて川沿いの美しい風景が広がっていく。
列車は茂市駅に到着した。ここで岩泉線に乗り換える。ふと隣のホームを見ると、高校生を乗せた車両が停車していた。「岩泉線って、茂市からこんなに乗客がいるのか」とドキッとしたが、この列車は宮古へ向かう山田線だった。
岩泉線のほうは、階段を渡った別のホームに停車していたのである。予想通り、くだんの2人のマニアも私同様に岩泉線の車両を目指す。そしてもう一人、途中駅の千徳から乗ったおばさんも乗り換える。岩泉線の車両内にも地元男性が一人乗車していた。
(つづく)
★なつかしの鉄道乗りある記は、週替わりエッセイとして毎月第2、第4水曜日に掲載します。
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