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好角家として大相撲界に言っておきたいこと~ブログ転載コラム

本当は昨日で大相撲名古屋場所の話を終えるつもりでしたが、千秋楽の照ノ富士-白鵬戦を見て、どうにもガマンができず、本日も書くことにしました。白鵬の復活優勝、これ自体はスゴイことであり、称えたい気持ちはあります。が、横綱としては評価できません。

横綱像が変わった?

歴代の横綱たちは引き際の美学を持っていました。勝てなくなったから辞める、勝っているうちは辞めない、という尺度ではなく、「横綱の相撲が取れなくなった時」に引退していました。それゆえに、私を含めた好角家は「横綱の相撲」を大事に思ってきたのです。

策を弄(ろう)して、何が何でも勝ちにこだわるのが、横綱の相撲なのでしょうか? 白鵬が15日間その相撲を取り続け、最終盤で顕著に勝ちにこだわったのが残念なのです。白鵬が「相撲史に残る大横綱」だと認めているからこそ、厳しく批判させてもらっています。

ちなみに、照ノ富士については立派の一言に尽きます。千秋楽の負けは、策にハマってしまったためであり、実力負けではありません。が、照ノ富士本人は「弱いから負けた」とコメントしています。この潔さこそが、本来の姿なのです。

「歴史的屈辱」を反省せよ

今場所については、白鵬だけを責めるわけにはいきません。勝ちにこだわって、逆に隙だらけだった白鵬に対し、誰一人として土(黒星)を付けられなかった力士たちにこそ、大いに反省してもらわねばなりません。ある意味、「歴史的屈辱」でもあるのです。

白鵬に対してだけでなく、ここ数場所は照ノ富士に対しても勝てない力士が多すぎます。この二人は「圧倒的に強い」のではなく、周りが弱いため「相対的に強い」だけです。照ノ富士が努力しているのなら、それを上回る猛稽古をしなければ勝てるはずがありません。

審判部の割の組み方も批判されてしかるべきです。一例を挙げるのなら、急成長している若手の豊将龍を白鵬、照ノ富士と当てるべきでしたし、小結の若隆景を序盤の段階で白鵬に当てていれば、展開が変わっていたでしょう。工夫が足りません!

千秋楽の結びの一番、白鵬が勝った瞬間にテレビを消しました。見苦しすぎたからです。マスコミは「勝利への執念」と絶賛していますが、それが今の時代の大相撲のトレンドなのでしょうか? 昭和の時代を懐かしむ好角家には理解できません・・・

※中スポの北の富士さんのコラムもリンクしておきました


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