歴史・人物伝~若き信長編⑨兄に反旗を翻した弟・信勝
美濃の斎藤家で起きた斎藤義龍による弟たちの暗殺や父・道三との合戦を昨日ご紹介しましたが、こうした肉親同士の抗争は織田家も例外ではありません。織田信長にとっても、避けて通れない道だったのです。
信長には、同母弟の信勝(信行)がいました。父・信秀の葬儀でご紹介したように、「大うつけ」の振る舞いそのままの信長に対し、居住まいを正して葬儀に臨んだ信勝に、織田家の後継者を期待する家臣も多くいました。
信勝自身も、自分が織田家を継ぐべきだと思うようになり、やがて信長に反旗を翻します。信勝方には、柴田勝家や林秀貞といった後に信長の重臣となる人物も含まれており、織田家を二分する争いになってしまいました。
二人の母である土田御前のとりなしもあり、一度は信勝も許されたのですが、他の織田一族に担がれ、再度信勝は決起します。しかし、信勝を見切っていた勝家によって、企てが信長に知らされたのです。
信長は一計を案じ、病気と偽って信勝をおびき寄せて謀殺し、お家騒動の芽を自ら摘み取りました。この時、見舞いを勧めたのは土田御前と勝家だったとされ、後に勝家が重く用いられるきっかけになったのです。
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