歴史・人物伝~新選組同志編⑤支え続けた佐藤彦五郎、小島鹿之助
前回、井上源三郎の紹介の中で、多摩地方に根付いていた八王子千人同心について触れましたが、幕府の治安維持のために京都で活動する「新選組」に対しても、多摩地方の人々は支援し続けていました。
日野の寄場名主だった佐藤彦五郎は、土方歳三の姉と結婚していた縁もあって、試衛館時代から近藤勇たちの良き理解者でした。天然理心流との付き合いは先代の頃からで、日野に出げいこ用道場を設けました。
試衛館道場は多摩地方へ積極的に出げいこに赴いていたといい、彦五郎は自らも心酔した天然理心流を広めたいと考えていたのです。出げいこ道場がなければ、土方や源三郎が近藤と出会う機会もなかったと思います。
小野路村(現町田市)の寄場名主だった小島鹿之助も、新選組を支援した人物の一人でした。近藤や彦五郎とは義兄弟の契りを交わすほど付き合いは深く、鹿之助も出げいこの道場を提供していました。
試衛館時代の近藤も出げいこに訪れていましたが、稽古を付ける代わりに鹿之助から漢学などを学んでいたそうです。後に京都で、様々な層の人物と議論を交わせるだけの学問を養えたのではないでしょうか。
佐藤彦五郎も小島鹿之助も、子孫の方がそれぞれ生家で資料館を設け、新選組などに関する資料公開をしています。二人は、新選組や試衛館を正しく後世に伝えるという使命も果たしていたのです。
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