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オヤジの思ひ出話~第70話「昭和最後の日」

1989年1月7日が何の日かすんなり出てくる方は少ないだろうと思います。でも元号で表せば「ああ、なるほど」と誰もが納得できます。昭和64年1月7日。つまり、昭和最後の日なのです。

朝起きた私の耳に飛び込んできたのは、NHKニュースの「天皇陛下が崩御された」という報道でした。前年から病気を患われており、ご病状について連日報道され続けてきたなかでした。

時代が変わったことを実感するとともに、私の脳裏に浮かんだのは「今日は何時に帰れるかわからないな」という思い。この日は出勤日だったので、それは「仕事がいつ終わるか分からない」という意味だったのです。

新聞社に勤めていたこの当時、新聞の発送手配の作業を10数人の社員が当番で担当していました。ローカル紙なので普段なら午後9時前には帰宅できるのですが、この日ばかりはそうはいきません。

昭和天皇が地元をご訪問された時の昔の写真を探したり、地元市町村長をはじめとする様々な方々のコメントを取ったりと、報道・編集部門は朝からてんてこ舞いとなるのは目に見えていたからです。

それに加え、新聞の日付を新しい元号に変えなければなりません。ただ、新元号がいつ発表されるのかは不明で、元号が決まるまでは印刷することができないわけですから、ひたすら待つしかなかったのです。

元号の発表は午後2時半過ぎ。後に首相を務めた小渕恵三官房長官が「平成」の額を掲げたのを覚えています。これ以降、小渕さんには「平成おじさん」というニックネームが付きましたね。


さて、新聞当番(発送担当者)だった私は「今日は長期戦になるな」と腹をくくって出勤していました。定時になったところでいったん帰宅し、自宅で夕食を済ませてから再び新聞社へと再出勤したわけです。

元号発表が予想よりも早かったこともあり、私が思っていたよりも早めに印刷の準備が進められていました。恐れていた「昭和と平成をまたいで仕事をする」こともなく、無事昭和のうちに帰宅できました。

昭和最後の日に、平成元年の文字が入った最初の新聞を発行する・・・その最前線である発送作業に携わったことは、長い新聞社生活のなかでもひときわ印象深く残っています。

あれから40数年が経ちます。来る2025年は昭和に換算すると「昭和100年」という記念すべき年になるわけですね。古き良き昭和の時代を改めて見つめ直してみたい気がします。

そんなわけで、2025年1月から「昭和100年記念エッセイ」を執筆しようと準備を進めています! 具体的な構想などについては、年内にお知らせできるかと思いますので、お楽しみに(笑)


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マイケルオズ@日々挑戦する還暦兄さん(フリーランスライター)
noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!