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昭和100年記念エッセイ・昭和に育ったオレが見た時代~第2話「ゲーセン」

昭和~まえがき

2025年は元号で言えば令和7年・・・これを昭和に換算すれば、昭和100年の大きな節目となる。

昭和生まれといっても、戦争を知る世代でも、高度成長を担ったわけでもない。昭和40~60年代に少年期、青年期を生きてきただけだ。

それでもオレは「昭和世代」だと自負する。

あの頃が懐かしい。そして、面白い時代でもあった。昭和40年代以降、俺が見てきた昭和の世相や思い出を振り返ってみるか。

第2話「ゲーセン」

第2話は「ゲーセン」すなわちゲームセンターである。ゲームセンターは最近、少なくなってはいるが、まだまだ健在だ。といっても、令和のゲーセンと昭和のゲーセンは全く別物と思ってもらっていい。

オレがゲーセンにハマったのは昭和50年代前半の高校生の頃。田舎のまちに住んでいたが、それでもゲーセンが何カ所かあった。高校生の乏しい小遣いを手に、何度も足を運んだものである。

あの頃のゲームは、スペースインベーダーに代表されるテーブルゲーム、コインルーレットなどのコインゲーム、そして10円ゲームが主流。アダルトなタイプのゲーセンに行くと、競馬やスロットマシンのようなコインゲームも楽しめた。

テーブルゲームは、さまざまなゲームが登場しては、いつの間にか消えていくというパターンの繰り返しだった。大流行したインベーダーゲームでさえ、数年後にはもっと複雑な動きを求められるアクションゲームに取って代わられた。

高校時代のゲーセンには、一人か二人、名人クラスの奴がいて、テーブルゲームの周りに人だかりができた。名人たちがテクニックを駆使してハイスコアを塗り替えるたび、周りの連中からは感嘆のため息が漏れたものだ。

大学生の頃、他の連中がパチンコにどハマりしてしまうなかで、オレはかたくなにゲーセン遊びに夢中になった。仕送りが入ると、お金を下ろしてゲーセンに入り浸り、両替に次ぐ両替の末、気がついたら1万円札が100円玉数個になっていたこともあった(苦笑)

ゲーセンはパチンコのように、出玉の数で景品がもらえるわけではない。コインゲームでコインを稼いでも、ゲーセンでなければ使えないので、結局は稼いだコインをすべて使い切ることになる。単に時間をつぶせるというだけの存在だった。

社会人になって入り浸ったのは、オートスナックと呼ばれた自動販売機コーナー併設のゲームコーナー。テーブルゲームが並んでいたが、お目当ては脱衣麻雀。コンピュータと1対1で麻雀をするゲームだ。

相手のコンピュータは女性の絵柄と音声で、こちらが勝つと1枚ずつ服を脱いでいくというパターン。最初は必ずといっていいほど勝てるのだが、オールヌードに近くなってくると、とたんにコンピュータが本気を出し、十中八九勝てなくなる。

「何が何でも下着をひっぺがしたい」。バカなオレは負けても負けても、何度でも挑戦する。それはすなわち、100円玉を次々に投入するということ。学生時代同様、1万円札がすっからかんになってしまう過ちを繰り返してしまうのだ(苦笑)

そんなオートスナックも平成の時代になってだんだんと姿を消していった。高校時代に通ったゲーセンは姿かたちも無い。時々、酔った勢いでゲーセンに入り、クレーンゲームに一喜一憂するが、あの頃に比べればささやかでかわいいものだよな。
(第2話おわり)


★昭和に育ったオレが見た時代は、2025年限定の週替わりエッセイとして毎月第1水曜日に掲載します。


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マイケルオズ@日々挑戦する還暦兄さん(フリーランスライター)
noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!