横綱白鵬関の引退会見に思うこと~ブログ転載コラム
「型を身に付けた上で、型を破る」
平成を代表する大横綱・白鵬関が引退会見を開き、年寄・間垣襲名を発表しました。まずはお疲れ様でしたと言いたいです。そして、会見を通して様々な思いが伝わってきました。同時に、全勝優勝した名古屋場所中に引退を決めていたというのも驚きを持って受け止めました。
私が白鵬関を生で観戦したのは、まだ大関だった平成19年初場所。その年の夏場所後に横綱に昇進し、新横綱だった名古屋場所も観戦させていただきました。生観戦で横綱が負けた相撲は数えるほどしかなく、圧倒的に強い横綱という印象を持ち続けていました。
言うまでもなく、優勝回数45回をはじめ、通算1187勝、幕内1093勝、横綱899勝など数多くの大記録を達成。2年連続で年間86勝を記録した時はまさに全盛期で、全く負ける気がしませんでした。唯一破れなかったのが、双葉山の69連勝(63連勝止まり)だったのです。
引退会見を聞いて印象に残ったのは、近年の「横綱らしからぬ相撲」に対し、白鵬自身が「度重なるけがのため、理想の相撲が取れなくなった」と振り返ったことです。白鵬関は決して、横綱の美学を捨てたわけではなく、勝ち続ける宿命と懸命に戦っていたのだと分かりました。
名古屋場所の終盤の相撲には、私も批判的なブログを書きましたが、当時の白鵬関はすでに引退を決意し、周囲にも伝えていましたので、もしかすると「上を目指してがむしゃらだった頃」を思い起こしながら、相撲を取っていたのかもしれません。
もう一つ印象に残った言葉が「基本を大事にし、型を身に付けた上で、型を破っていく。そうすれば強くなる」です。白鵬関は右四つという絶対の型を持っていながら、どんな相撲にも対応できました。それこそが強さの秘訣だし、長く取れた秘訣でもあったと思います。
年寄襲名についての見解
白鵬関の間垣襲名には、協会内からも批判的な声が上がったと聞きます。確かに、度重なる土俵上での態度や言動などが問題視されていました。しかし、不祥事で引退を余儀なくされた朝青龍や日馬富士とは異なり、土俵外では問題を起こしていません。
私は個人的な意見として、白鵬関は「一代年寄」を襲名する資格があると思っています。ただ、一代年寄を制度として認めていないというのであれば仕方ありません。とすれば、間垣襲名には何も問題はないはずで、誓約書を出させること自体が異例だと考えます。
確かに、晩年の白鵬関の相撲は、横綱として決して褒められたものではありませんでした。ただ、それでも勝ち続けられたのは、はっきり言えば「倒せる力士、倒してやろうという力士」が少なかったためです。ついに誰一人として引導を渡すことができませんでした。
白鵬関は、すでに内弟子を何人も抱えており、とくに新十両だった北青鵬は大器として注目されています。間垣親方として、どんな弟子を育ててくれるのでしょうか?。かつてのライバルだった荒磯親方(元稀勢の里)、鶴竜親方らと切磋琢磨してほしいものです!
※ブログ「気まぐれトーク」より転載しました。画像は2019年名古屋場所観戦時の横綱です(私が撮影しました)