歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」和田合戦の引き金となる泉親衡とは何者?
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、いよいよ来週、鎌倉時代前期最大の内乱である「和田合戦」が描かれます。第40回はその伏線となる事件として「泉親衡の乱」がありましたが、泉親衡の正体は怪しげに描かれていました。
吾妻鏡でも、泉親衡はこの時だけに登場する人物で、謎に包まれています。一応源氏の末裔ということになっていますが、定かではなく、乱を引き起こすような有力な御家人だったわけでもなさそうです。
信濃の御家人ということで、ちょっと興味がわいたので、私なりに泉親衡の乱について推理をしてみました。ここからは、まったくの独自解釈に過ぎませんので、史実とは無関係だと思って読んでいただければ幸いです(笑)
1 北条氏の陰謀説
北条義時にとって、御家人の長老格である和田義盛の存在は「目の上のたんこぶ」とも言えました。しかし、源実朝の信頼が厚く、三浦一族に属することから、他の御家人たちのように容易に排除できません。
そこで、「頼家の遺児を担いだ者が北条氏打倒を企てた」という事件をでっちあげ、事件に加担したとして義盛の息子やおいに濡れ衣を着せるのです。つまり、泉親衡は有力御家人でもなんでもなく、ひょっとすると架空の人物かもしれません。
2 和田氏よる反乱説
千寿丸が頼家の遺児であることが事実なら、和田氏が密かに千寿丸をかくまっていたということも考えられます。義盛が存命のうちは北条氏を抑えられていても、いずれは和田氏を圧迫し、お家存亡に陥るかもしれないと危機感を抱き始めます。
ただ、和田氏が表立って反乱を起こすわけにはいきません。そこで泉親衡という人物を立て、千寿丸を旗頭に決起しようとしました。ただ、その前に北条氏が察知し、企みがバレてしまったのです。泉親衡が何者かは不明です。
3 源氏の一族による蜂起説
泉親衡は、源氏の末裔とされていますが、源氏を名乗っていたのは200年以上も前なので現実的ではありません。そこで、信州の豪族という点に着目し、泉親衡あるいは千寿王が、木曽義仲の一族もしくはゆかりの人物だったと推理します。
義仲が滅んだのは、30年ほど前に過ぎませんので、再興を密かに企んでも不思議はありません。千寿王を「頼家の遺児」として担ぎ上げることで、御家人の和田氏らを仲間に引き込むことができると考えたのではないでしょうか。
ドラマの三谷脚本では、源仲章が「泉親衡」を名乗って、御家人間の騒乱を企てたらしいという筋書きになっていました。泉親衡が謎の人物だからこそ、こうしたストーリーが作れるわけです。いずれ、その正体が判明する史料が見つかると面白いですね。
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