歴史・人物伝~エピソード編㊻:北条高時「北条得宗家の誇りとともに滅す」
鎌倉時代は、執権職を代々受け継いだ北条一族が権力を握っていました。源氏が滅んだあとの将軍は飾り物に過ぎず、執権を中心に政治が動いていましたが、中でも北条家の惣領は「得宗家」と言われ、権力の頂点にありました。
2代執権の北条義時には複数の子がいましたが、執権として跡を継いだのは泰時。彼の直系が得宗家となっていくわけです。孫の時頼の代では同族の争いを退けながら、徐々に専制化を強めて系譜をつないでいくのです。
歴代執権の中でも、得宗家の当主が執権の座に就くと、権威は一層増します。北条時頼、時宗、貞時そして高時がそれに当たります。ただ、鎌倉時代は権力抗争が激しかったため、政治基盤は決して盤石ではなかったと思われます。
北条高時は得宗家最後の当主となってしまいます。鎌倉幕府が滅んだ時の人物だったため、後世では「闘犬にうつつを抜かしていた」などと、マイナスイメージで描かれてしまいがちです。ただ、本当にそれだけの人物だったのでしょうか?
高時は、鎌倉を攻められた時に一族郎党うち揃って自刃する道を選びます。凡庸なだけの当主だったら、御身大事で一族や家臣に裏切られていたでしょう。そう考えると、高時はカリスマ的な存在だったのかもしれませんね。
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