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昭和100年記念エッセイ・昭和に育ったオレが見た時代~第1話「カラオケ」
毎週水曜日に「週替わりエッセイ」と銘打ち、昭和に育ったオレが見た時代、なつかしの鉄道乗りある記、酔いどれ男のさま酔い飲み歩記を週替わりで掲載していきます。
昭和~まえがき
2025年は元号で言えば令和7年・・・これを昭和に換算すれば、昭和100年の大きな節目となる。
昭和生まれといっても、戦争を知る世代でも、高度成長を担ったわけでもない。昭和40~60年代に少年期、青年期を生きてきただけだ。
それでもオレは「昭和世代」だと自負する。
あの頃が懐かしい。そして、面白い時代でもあった。昭和40年代以降、俺が見てきた昭和の世相や思い出を振り返ってみるか。
第1話「カラオケ」
第1話のテーマに選んだのは「カラオケ」だ。平成の時代になってからはカラオケボックスで歌うのが全盛となっていったのだが、昭和の時代のカラオケは違う。そもそも、カラオケ専用の施設なんか無かったよ。
昭和50年代のカラオケは旅館などの宴会場に備え付けてあるものだった。選曲してカセットを入れるタイプで、歌詞カードを見ながら歌うスタイル。ゆえに、流れる曲をちゃんと覚えていなければ歌えなかった。
やがてレーザーディスクが登場する。これはありがたかった。テレビ画面に歌詞が出てくるうえに、メロディーに合わせて白抜きの歌詞に色が付いていくので、それを追っていけば誰でも歌が歌える。
社会人なり立ての20代は、スナックやバーでカラオケを歌うのが定番だった。居酒屋でほろ酔い気分となり、二次会でやって来たスナックで水割りを飲みながらカラオケを歌う。店に1台しかないから、自分が歌っている時は店内の注目を集めることになる。
客の中にはマイクを独り占めにする輩もいた。そんな時は店のママが独り占めの客を上手にあしらってマイクを奪い、他のお客にバトンタッチをする。カラオケをめぐって、客同士が喧嘩になるような光景はほとんど見たことがなかったな。
昭和の頃のおじさんたちが歌うのは十中八九、演歌である。サブちゃん(北島三郎さん)を選ぶ人はたいがい歌自慢だったし、周りに言われてマイクを握るハメになったオヤジは、渋々「北国の春」なんかを歌っていたなあ。
それから、ソロでは歌わないくせに、デュエット曲は大好きという人もいたよ。そんな時の選曲は、年配の方だったら「銀座の恋の物語」、中年世代は「3年目の浮気」、オレと同世代のヤツは「ロンリーチャップリン」が多かったな。
オレか? オレは音楽サークルに在籍した経験があるので、音感もリズム感も自信がある。そして、その場を盛り上げるのも好きなタチだったから、スナックのカラオケではついついウケ狙いの歌を選曲してしまう。
例えば、吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」とか、牛若丸三郎太の「勇気のしるし~リゲインのテーマ」といったコミックソング。ある時は、五輪真弓さんの「恋人よ」を絶叫口調で大熱唱し、酔客たちから拍手喝さいを浴びたこともあった。
一人でスナックを訪れ、たまにはカウンターで静かにグラスを傾けたい時もあるのだが、そんな時に限ってママさんが気を遣って「恋人よ」をかけてくる。おいおい、歌わなきゃいけないじゃないかと苦笑したものだ。
そんな店もバブル崩壊とともに一つ、また一つと姿を消し、いつの間にか「カラオケはカラオケボックスで歌うもの」となっていった。曲がかかるまで、何もせずにマイクを握って待っていた時代が懐かしい。
(第1話おわり)
★昭和に育ったオレが見た時代は、2025年限定の週替わりエッセイとして毎月第1水曜日に掲載します。
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