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答えのない問いに答えを求め続けるということ

今日はたまたま仕事が休みになった。この時間に、ダラダラ布団の中で時間を過ごせることに幸せを感じる今日この頃。

前回のnoteで、「社会人になると答えのない課題に向き合う機会が増える」というようなことを書いた気がする。

だから「考える力」が必要だと書いた。

じゃあ「答えの無い問い」って何だろう?

まあ社会人と言うとなんかしっくりこないので、「大人になると」と読み替えて欲しい。

「人は何のために生きるのか」とかいう哲学的な話ではなく、もっと現実に起こりうるような問いを考えてみようと思い、今日は文章を書く。


どうすれば中学生からソフトテニスを始めた子を上達させることができるのか?

これは僕がコーチとして一番興味のあるテーマ。

今回論じていく「答えの無い問い」とは、こういった課題のことだ。

一人一人持っているものも違う。思いも違う。育ってきた環境も違う。考え方も違う。

そんな子たちを指導するにあたり、「こうすれば全ての子供たちが同じように成長していける」なんてマニュアルは無い。

また、「上達」と言っても、人によって上達の捉え方が違う。前よりもラリーが繋がったり速いボールを打てるようになったりすれば「上達した!」と嬉しくなると思う。でも最も上達感を得られるのが、「試合で勝てた時」ではないだろうか。

ただこれには指導者として危険なワナが潜んでいる。全ての子供たちが「試合での勝利」を最も望んでいるわけではないからだ。

「健康な体を作る」ことだったり「仲間との思い出を作る」こと、「スポーツそのものを楽しむ」ということを最大の目的としている子ももちろんいる。

目的の違いはあれど、スポーツをやっている上で「上達」することは「楽しい」というのは共通しているだろう。

マンツーマンで教えられるのは理想的だけど、僕の体はひとつしかないし、チームには多くの子供たちがいるし、全ての物事はそうであるように「制限」が付く。

その制限の中でどのように最適化をしていくか、どうすればより多くの人が最大限良い思いをできるのか。

それを考えることこそ「答えの無い問い」に向き合うことだと思っている。


自分のプライベートの時間とオフィシャルな時間、どのようにバランスを取ればいいか?

これは僕が今、まさにこの問いに直面している。

仕事は生活していくために必要な時間、プライベートな時間も自分にとっては必要な時間だし、その中でソフトテニスコーチとして子供たちを教える時間をどのようにバランスとっていけばいいのだろうか。

自分の目的を最大限果たすため、どうすれば自分の人生にとって最も効率的な時間を使えばいいかを常に考え、生活していくか。

文章に書き起こしてみてみるとずいぶん大げさで大変そうなことに聞こえるけど、たぶん自分は自分の時間管理がそれなりに上手い方だと思う。

今やりたいことは最大限できてると思うし、いろいろなことがバランス取れているなと感じる。ここに僕は自分の幸せを感じているんだと思う。

だけど人生何が起こるかわからないから、このバランスもいつかは崩れる気がする。でもそしたらそうなったで、その時の状況でまたバランスを取ればいい。

変化はつきものだけど、その時にそれに対応するような力が身に付いているといい。そんな力をどうやって身につけるかも、これまた答えの無い問いだろう。


スポーツを頑張ることが、自分の将来にどんな影響を及ぼすのか?

今、スポーツを頑張っている君たちへ。

僕が子供の頃、ソフトテニスを頑張ることが自分の将来にどんな影響を及ぼすなんて考えたこともなかったし、想像もできなかった。

だから、頑張ることに理由付けとかはいらないと思う。

だけど将来みんなが大人になった時、振り返ると「あの時頑張っておいてよかった」と感じると思うんだよね。

スポーツをやっている大半の人たちは、そのスポーツ自体のおかげでお金持ちになれることはないだろう。だけど「頑張った経験」ってのを転用できると、お金持ちになれるかはわからないけど、それなりに幸せに生きられると思う。

僕が子供たちを一生懸命教えるのは、その一生懸命な気持ちを与えてくれた大人たちに対する恩返しでもあるし、教えた子供たちが最後には笑顔になって欲しいし、そのためには本気でぶつかり合わなきゃいけないけどそれも楽しいし、まあそこに一つの答えなんて無いんだよね。


最後に


結局「答えの無い問い」に答えを出すなんて不可能だけど、自分なりの答えを持ってその問いに向き合えるといいんじゃないかな。そしてその答えを出すために問いに向き合う力が必要で、それには様々なことを「考える力」が必要なんだよね。

「考える力」を身につけることは、自分が自分の人生を幸せに生きるために必要なことだと僕は思う。僕にとってのコアは「考える力」だから、それを子供たちが身につけるにはどうしたらいいかを常に考えてしまう。

子どもたちがどう思うかはわからないけども、それに対してものすごく感謝してくれる存在が、子供たちの保護者の皆さんなんだよね。

自分の愛する子供に対して本気で考えてぶつかってくれることに対してすごく感謝してくれる、それが僕は嬉しい。

結局人は、他人に自分の存在価値を認めてもらうことが一番幸せを感じる生き物なのかな。

平日の昼間、布団でゴロゴロしながらそんなことを思った今日この頃。

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