面白いものを作りたい
時間をかければ、ある程度上手くなる。
時間が無い中で、時間をかけてきたものを凌駕することに面白さを感じる。
大人になってからやりたいこととか表現したいもののルーツって、結局子供時代の記憶や思い出の中にあることが多いのかもしれないと思った。
小学生から時間をかけて上手くなってきたものに対して、中学生から始め時間が少ない中でその時間を超えようとするところに面白みを感じるのが僕だ。
確かに時間をかければ上手くなるし、いいものもできる。技術も身に付くし、経験だって増える。
じゃあそれを限られた時間の中でどうやって自分の頭をと経験を使ってチーム作りに生かしていくか。
どうやってより少ない時間で高いところまでいけるか。
そんなことに意味が有るのか無いのかわからないが。
ただし、中学スポーツは教育的側面が大きな割合を占めるので、自分も一緒に人間的成長を共にできるというところに意味はあるのかもしれない。時間の使い方も、週末にどれだけテニスコートにいられる時間を作るかにフォーカスできるので、それ以外の時間をいかに少なくして自分にとってやらねばならないことをこなしていくかを考えられる。
意味が有るのか無いのかわからないことに自分の人生の多くの時間を使いたいと思うのは、それをするのが面白いから。
僕はすぐサボる人間なので、スイッチが入らないとやらねばならないこともできないし、そのスイッチを自分で押すのができなくて、悶々としていることも多い。
そういう時は文章を書いている。今日もやらねばならないことをたくさん放置して文章を書く。この文章を見る人だって、別にそんなにいないだろうに。
最近思ったのが、もしこの先自分のことをアピールしなきゃいけない場が来た時、とりあえず自分が書いた文章を見てくださいと言えば自己紹介になるだろうか。
自分は短時間で自分の思っていることとか考えとかを伝えるのが苦手なので、そうしてもらえるとありがたい。
そんな日が来るかもわからないのにこんなことを書いている自分も、まあ許してあげよう。
話が脱線した。そんなときは書いた文章を消して今日のテーマに沿って書き直すんだけど、今日はいいや。このnoteも元々メモ帳代わりにしていたものだし、そのために始めたのでOK。
子供の頃は先のことなんか考えず、ただ目の前の課題をひたすらこなしていけばよかった。大人になると、余計なことを考えて結局足踏みしていることが多くなった気がしてしまい、残念な気持ちになる。
その中で、ひたすら自分が面白いことを作るために没頭できるってのは、幸せなことなのかもね。
自分の考えた練習をやらせてみて、それに対して子供たちの動きがどうなったのかとか、どんな雰囲気で取り組んでいたかとか、つまらなそうにしている人がどれくらいいたかとか、それが試合とどのくらい結び付けられたかとか、繰り返し試しながら、正解などない道を探りながら最良の道を選び、最短距離でゴールまでたどり着くようにひたすらやる。
そんな感じなのかなあ。コーチの仕事って。