一人暮らししてみたかったけど父が許してくれそうになかったので結婚してみたらモラ夫でした
お試し版 暫定第一話
これはあくまでもフィクションです。登場人物、地名などに実名が出てきますが、あくまでもフィクションですったら、フィクションなんです!
私の文章力がどれほどのものか、知っていただくための暫定第一話です。
それでは、お楽しみください。
タコは突然やってくる
新婚旅行から帰ってきて3日目。その日は日曜日だった。
けれども新婚ホヤホヤの夫は休日出勤。
美里は朝から洗濯を済ませ、さほど綺麗にもならない古い家の台所を掃除していた。
この家は元々夫の両親が購入し、夫とその弟が幼少期に暮らしていた家だ。
義父が早期退職をして、その退職金で神戸で義母が小料理屋をひらくために灘区に移り住んだ後空き家になっていたのを、美里の夫である武史が大阪の学校に行くというので都心に程近いこの家で一人暮らしをしていたという、築30年ほどの安新譜の建売住宅。
周辺環境はと言えば、駅前こそ賑やかな商店街があるものの、そこを過ぎればめっきり下町。
ポツポツと比較的大きな個人宅はあるものの、大半が安い木造アパートか文化住宅の長屋といった地域である。
トイレ台所が共用の家賃の安い寮のような物件も多く、無計画に建てられたそれらの建物の間を狭い道が曲がりくねって縦横無尽に続いているこの街は万博景気の時に自然発生的に出来た街らしい。
建築関係の土木作業員達の寮から広がっていった労働者の街だった。
美里が暮らすこの家も隣は鰻の寝床のように奥に長い文化住宅の長屋がデンと建ち、戸建てはこの家とお向かいの家だけだ。
まわりもアパートや文化住宅の長屋ばかりの中に、ぽつんと2軒だけ戸建てがある不思議な場所。
この辺りの土地は全部大地主の持ち物だと聞いたので、その地主が金策のために手放した土地に建てた家なのかも?と思っていた。
当然のように治安もあまり良いとは言えない。
駅からのんびり歩いて20分ほどの割合便利な立地なのだが、昼間から酔って路上で寝ている老人がいたり、浮浪者かと見紛うばかりに汚れた姿をした土木作業員がたむろしていたり、早朝には日本語ではない会話がそこここから飛び交っていたりするので、美里はこの家に越してきた翌日にまず自転車を買った。
徒歩20分とはいえ、そんな環境の中を歩いて駅まで往復するのが怖かったからだ。
この家も空き家になっていた時期が長かったからか、男の一人暮らしでは管理にまで手が回らなかったためか、築30年ほどだというのが信じられないほどの荒屋だった。
義両親の荷物がそのまま残っており、その上に夫が一人暮らしをしていた時の荷物があって、風呂場などは釜が壊れたので物置代わりに荷物が押し込められていたし、台所はドロドロの何かわからないものが溜まっていたりした。
そこへ美里の嫁入り道具を無理やり押し込めた形になって、ますます足の踏み場がないカオスと化していて、新婚生活ってこんなに薄汚れた場所で始めるものだったのかしら?と思いながらも、時間を作って少しずつ掃除をして片付けていこうと決心したのがひと月前だった。
間取りは引き戸の玄関を開ければ1畳ほどの土間と上がり口。右はトイレの扉があり、左の扉をあければリビングダイニングとカタカナで言うのがこれほど似合わない部屋もない板間の台所と居間。
台所横には今や物置と化した風呂場があり、洗い場の隅に洗濯機だけが鎮座している。
2階へあがる階段を挟んで奥に6畳の和室があり、窓はお向かいとを隔てる路地に面した腰の高さと、南側にある小さな庭に出れる大きな窓があるので、採光はなかなかに良い。
しかし、半軒の押入れには義両親の荷物がいっぱい残ったままで何も入れる隙間はないし、申し訳程度の床間には、半分扉が壊れた仏壇がそのまま置いてあったりする。
押入れの義両親の荷物は、引っ越す前に片付けると夫が約束していたけれど、全くの手付かずだった。
なんでも義母があれもいる、これもいると言い出して捨てさせてくれなかったらしい。
「つまり押入れとは名ばかりで使えない空間ってことよね」
部屋の隅にたたんで積み上げた真新しい布団の山を眺めて、独り言をつぶやく。
「どうせ中身入っていないんだから、仏壇だけでも処分してくれたらよかったのに」
ため息をついたところで仏壇が消えるわけもなく、そのまま鎮座している。
重いカーテンを開けて、庭を見れば夫が子供の頃戯れで植えたどんぐりの木が大木となって青々と繁り、庭に落ち葉を積もらせていた。ここを綺麗にするにはまだまだ時間がかかりそうだ。
美里にも夫の武史にも植物を育てる趣味はなかったから、後回しになりそうな予感がしていた。
狭くて急で薄暗い階段を2階にあがれば、右は台所の屋根が見える小さな窓。左の襖を開ければ下の部屋と同じ6畳間の和室になっている。
ここの押入れも義両親の荷物と夫が独身時代に使っていたもので溢れていたが、仏壇がないだけマシと思えてしまうから、下の階の仏壇の存在感は大きいらしい。
上の部屋は比較的夫の持ち物が多かったから、そのうち片付けてもらおうと美里は楽観的に考えることにした。
夫が独身時代暮らしていた時は、この2階の部屋が寝室だったが、今は美里が絵を描いたり、夫が製図をする作業場となっている。
小さなTVもあったから実質ここが居間みたいな扱いだ。
食事は大抵、台所の隅に置いた小さなテーブルでしていたが。
「冬になれば炬燵を置いて、みかん食べるのもいいよね。あ、鍋もいいなぁ」
色々と問題のある家ではあったが、そんな日常を想像して楽しめるのは、やはり新婚の魔力だろう。
「お昼何食べようかな?食べに出ちゃおうかな?どうせ晩御飯の買い物にも行かなきゃだしなぁ」
はかどらない掃除の手を止めて、昼食にどこの店のランチを食べようかと思案していたところに玄関の呼び鈴が鳴った。
「はーい」
すりガラスと格子の引き戸を開ければ、そこに立っていたのは義母だった。
「ちょっと、美里さん。一番大きな鍋出して」
挨拶もせずにそう指示をして、ずかずかと勝手知ったる我が家とばかり上がり込んでくる。
手にはなにやらビニール袋を下げていた。
「あの・・・お義母さん?」
「いいから、いいから。早く!鍋にいっぱい水入れて沸かして!」
わけがわからないままに従う美里の横で、義母は手に下げていた白いビニール袋を流しにどんと置いて開き始めた。
「美里さん お湯には塩入れてね。一掴みぐらいよ」
義母は自分で小料理屋をやっているだけあって、料理の手際だけは良かった。手際だけは。
”お義母さんの料理って、味が濃いから苦手なんだけどなぁ”と美里は常々思っていたが。
美里は祖母の素朴だけども素材の味を活かした京風薄味で育っているので、濃い味付けや脂っこいものは苦手だったのだ。
どちらかと言えば和食より洋食の方がおしゃれでいいなぁと思っていたけれど、結婚するまでほとんど料理をせず、たまにお菓子を作るくらいだったから、レパートリーはまだ少ない。
同居初日には、スパゲティを茹でるのにお湯が沸くまでじっと鍋の前で待っていると夫に笑われたほどの鈍臭さである。
「どう、活きが良くて美味しそうでしょう?」
義母がビニール袋から取り出したのは、タコだった。
それも生でまだうねうねと動いているやつだ。
「・・・・」
「市場で見かけてさ。あまりにも大きくて肉厚で活きが良かったから、買っちゃった。こういうのは新鮮なうちに茹でてしまわないとね」
そう言いながら元は自分の台所、吸いつこうとする吸盤をものともせず、じゃばじゃばと水道水で洗い始める。
美里はドン引きで固まるしかなかった。
そりゃそうだ。
タコはスーパーで茹でた足1本を買ってくるものだったし、生のタコなんて水族館のガラスの水槽の中を泳いでいるのしか見たことがない今どきの娘なんだから、さもありなん。
そうこうしているうちに鍋の湯がグラグラと音を立て始め、義母が馴れた手付きでタコをつかみ湯の中に沈めていく。
淡いグレーの地味な色だったタコは、見る間にエンジ色に変わり、8本の足がくるりと反り返り丸まっていく、これはスーパーでパックされているタコの色と足の形だ。
「足が絡まないように入れるのが難しいんだよ」
「・・・はぁ」
義母はまだ少ない美里が買い揃えたカラトリーを乱雑にかき混ぜて菜箸を探し出すと、グラグラと煮え立っている湯からタコを引き上げ、流しに放り込む。
当然、ザルもボウルにも受けもせず、シンクの中にそのまま置いて上から水道水を勢いよくかける。
義母は何をするにしても大雑把で乱暴なのだった。
「あの、お義母さん。ザルか何か出しましょうか?」
見兼ねて美里が声をかけたが、「いいの、いいの。洗い物増やしちゃ申し訳ないからね。すぐ冷めるし」と言いながらジャバジャバ。
せっかく拭いた台所の床が水浸しだなぁ。マットもう一枚あったかなぁ。と考えながら美里は義母の行動を見守ることしかできなかった。
「さて、どうよこの色といい肉厚具合といい、吸盤のぷっくりさなんて、美味しそうだろう?」
粗熱が取れたタコを振り回すようにして美里に見せて、また水滴を盛大に撒き散らす。
「ここで捌いて、酢の物や刺身にしたい所だけど、美里さん、あなた全然包丁も調味料も何もかも揃えてないじゃない?こんなのでちゃんと毎日お料理できているの?」
そう言われても、まだレパートリーの少ない美里には、包丁と鍋とフライパン。調味料は塩、砂糖、醤油、胡椒ぐらいあれば十分だし、冷蔵庫にはケチャップもソースもマヨネーズだってある。
第一新婚旅行から帰って来てまだ3日目なのだ。
香港シンガポール1週間周遊の旅の前日に日持ちしない食料品は全部処分して出掛けた為、まだ冷蔵庫の中もスカスカだった。
「ああ、そう言えば武史は魚介類苦手だったわね。じゃ、コレ全部持って帰るわね。」
美里が何も言えないで立ち尽くしているのも気にせずに、義母は元のビニール袋に茹で上がったタコをそのまま入れ、口をギュッと縛った。
そしてスタスタと玄関先に行き、来て直ぐに玄関の上がり口に置いた荷物を手に取ると靴を履き表に出て行く。
「じゃあね、おじゃましました。美里さん、武史をよろしくね」
そう言うと、振り向きもせず路地を歩き、お向かいさんの角を曲がって姿が見えなくなった。
「はぁ〜お義母さん タコを茹でに来ただけ・・・」
振り返って台所を見れば、水浸しの床とキッチンマット。ガスコンロの上では湯だけになった鍋がまだグラグラと煮え立っていた。
「掃除やり直しだね。お昼ご飯、いつになったら食べれるんだろう?」
新婚3日目にして不安しか感じられなくなった日だった。