パソコンからの出力・日記

私の五倍くらいタイピングが早い弟に早く会いたい。彼は本当に機械に長けていてブラインドタッチも出来てネットミームもよく知っている。彼はいい子ですよ、本当に。


わかりました

っていっぱい言いたい
最近、私の脳の中で起きた現象を伝えること、以外の全てを説明する言葉に強い違和感を覚える。だから、家の人からかけられた言葉にも、講師からいただいた言葉にも、交際者との会話の相槌も、友人との神に捧げたくなるようなテンポのトークにも、「わかりました」って言いたい。
そういうことを基礎科の先生に言ったら、それは分かってない時にも言えるよね。と言われた。確かに、、、うーん


脳が捨てられた!

盗んだチャリで走り出す、、

すいません、普通に軽犯罪なんですけど、不法投棄されている自転車をブイブイ乗り回して、それをまた元の(不法投棄されたいた)場所に戻したことがあります。でもあれは切実な珍走だったんじゃないかと、思ってー💦
理由なんて覚えてないけど、(なんちゃてごめんなさい、ほんとは覚えてます)とにかく息ができないほどの焦燥と空虚が襲ってきて、とにかく早く動きたかったんです。自転車は私が漕いだ分しか動かないので、私の情緒にぴったりです😆ちな高二です

メタ認知ってなんだ

トラブルが発生した時になぜ私は今悲しいのか長考したり、総合実技を作るときにオブジェと文とプレゼンで伝えることを分けたり、血縁者の過去を想像してみて、今目の前にいる血縁者を納得しようとしてみたり、、
これってメタ認知じゃなくて営みじゃないですか😡

「目的と手段が入れ替わる」ってなに

人々に私の短歌を読んでほしい→道端で短歌を配る、、道端で短歌を配りたい‼️
これ以外思いつかないンゴ

小説家ってみんなASDなんですか?

小説は情景や行為一つ一つをしっかり描写した方が読み物として面白いらしい。たとえば西尾維新とかまじヤバいと思う。つらつらしすぎっ!でもそれが、めっちゃすっきゃねん。
いや、小説家はみんなASDなわけない!丁寧に伝えることと、違和をスルー出来ずレトリックに執着することは違いますね💦題は完璧な誤りです💦。
でも、一方で、レトリックに執着していい。自分の感受を余すことなく表現する権利が与えられてるということを知ったのはここ1〜2年のことです。
そのある種の正直さを内面化するトレーニングをしています。

呑気症

学童で、生徒も少なくなってきており、油断して馬鹿でかいゲップをかましてしまった。そうしたら小三男子S君が「気持ち悪〜〜〜〜〜〜〜い‼️‼️‼️と教室四方の壁がひび割れるくらい大きな声で叫んだ。私はパニクりながら頭を抱え、「ごめんごめんごめん💦💦」というほかなかった。中年女性スタッフが心配そうにS
君にかけつけ「何があったの!😦」と言ったのですかさず、私が大きなゲップをしてしまったことを伝えた。そうしたら女性スタッフはS君に、
かっこいい人はそういうの気づかないふりしたり、むしろ庇ってあげたりするんだよー!
と言っていた。

私と時間を共にしたことがある人ならわかると思うんだけど、常人の七倍くらいの量のゲップが出る。食事のタイミングや姿勢や運動量に左右されるけれど、コンスタントに30分に一回はコーラを一気飲みした後みたいなゲップが出ます。
もちろん医者にかかって、なんならセカンドオピニオンもして、たくさんの薬を飲んだけど、全然治らなかった。
中学から高三くらいまでは、ゲップが苦手な体質で、自分で自分の背中を叩いて(または胸の真ん中を拳で強く叩いて)ゲップするという赤子への処置みたいなセルフケアを行なっていた。しかし受験直前期になった時、溜まっている空気の量が明らかに多くなった体感があり、ゲップもなんかもっと出来なくなった。その中でゲップができそうな良いタイミングで喉を潰すようにして無理やりゲップを出す方法が確立したのが浪人がはじまった5月くらいで、そこからゲップができそうな時はこまめにゲップをすることにした。なぜなら、ゲップが溜まると胸や背中が死ぬほど痛くなるからだ。動くのがしんどい、寝れない、くらい痛い。
家の人や予備校の人や交際者は、たとえば映画館の中とか飲食店とか?でなければ全然咎めなかった。(もちろん家の人や交際者はそんな様子の私を怒るシーンもあったし、常識を教えてくれた。)だからたとえば、海とかなら所構わずゲップし放題だと思っていた。
しかし最近、ゲップを本気で嫌がる人がいることを知った。そうか、確かに私もあんま大きなゲップって聞きたくないかも!ほんまごめん
手を口元に当てて欲しいという意見をもらうのだけれど、これが間に合わないんだよね。口閉じようという意見もいただくが、口を開けた方がたくさん出る、というのも、残ゲップ感がまた私の胸や背中を痛くするので、正直出し切りたいと思ってしまっている。わがままにも聞こえるけど。でもまじで😭
自分でも自分の身体が予測不能に変容していって普通に不快😭💦
くしゃみよりも予測が難しく、瞬きや呼吸みたいな自然さと切実さがある。

空気溜まる→🧠背中痛いのやだよ→🧠空気出すほかない!→無制御ゲップ🌬️

という無意識の、反射とも言えるような神経伝達のプロセスがある。だから、この神経伝達が間違いだとまず脳に刷り込まなきゃいけない。とにかくゲップを察知してストップをかける能力を培おう。
それが実現するまで、私と一緒にいる予定で尚且つ私のゲップを聞きたくない人には、ゲップをする際に背を向けたり、その後に「失礼😐」と言ってみようかと思う。みんなごめにょ

コミュニケーション障害だった、、?

高校1年生の時の私は生き急いでて、自分と他者が違うということがわかっていなくて、みんなが私を理解してくれない!それは変です😤と思っていた。なるべく全てを知りたくて、隣の席の男の子に、なぜ運動部なのに勉強ができるのかを聞いてみたり。それがなぜ悪いとされているのか再考するために他クラスの人間に自身のブルマを見せてみたり。美術の先生にAI画と私たちの存在意義についてなぜか縋るようにして、切羽詰まった様子で考えてみたりしていた。
当時の彼女にとってそれは、するべくしてしたコミュニケーションだとわかる、そして今改めて見つめてみると、歪すぎるでしょ!とも思う。なんでそんなに身を削って、実験的で、相手の気持ちを想像しないで、思うがままにはしゃげていたのだろう、、
そして、高校の大体の人間はその感じの私の認識しかないと思うからめちゃ恥ずかしいよう。。
高校の時は、気取ってる人が特に納得できなくて、うまく身銭を切ってコミュニケーションができる人が羨ましくて仕方がなかった。多分私は身銭の切り方がやばかった。みんなが生ハムみたいにやってるところを、一刀両断したりしてたと思う。

予備校基礎科でも声が大きかった私をみて「毒親育ちなのだろう」と思った人がいる。
まず毒親じゃないですよ‼️
でも確かに当時は大丈夫なことより、どうしようもないことの方が断然に多くて(私の脳の情報処理能力が低かったかなと考えたけど、それよりも上手くいかなさ、ままならなさ、どうしようもなさ、が日常に蔓延っていたと認めてみる)ずっと無理ぽだったのは覚えてる。

こうやって書き出してみると当時、彼女は本当に助けてほしかったんだよなって思い出した。そして、たいして誰も助けてくれなくて、(くれた人の存在を無視するわけじゃない!)みんなに大きい声で話しかけないと気が済まなかったんだよなと。
そして、それを人々はコミュニケーション障害と言うんだと思ってみる。

今は、別に誰かが助けてくれるとかじゃないっすよねえって思ってる。忍野メメも「人は一人で勝手に助かるだけ」って言ってたし。

今は、喋りのテンションは高い時もありつつもあんま跳ね上がって暴走とかない気がする。当初の2割くらいになったと思っていいと思う。


もう最近は自分の気持ちや行動が整理できてるきがする。これってメタ認知?私はこれを獲得できてよかった。これの獲得に至ったきっかけを列挙。
清潔でなく切れ味の悪いニードルで30分かけて舌ピを開けた時、
初めて告白をして振られてレポートにまとめた時、
高二の最後に自分達家族の歴史についてまとめた時、
今から一年前のあの時、
ここ数ヶ月精神科のYouTubeを見漁っている今。

最近、目を瞑って自分の脳をなぞります。頭蓋骨と脳の間をくすぐってみたり、右脳と左脳の間に指を突っ込んでみたり、そうするとこの世界の何よりも気持ち良い❣️











スーサイドしちゃいそうだよ 遠くから見守っててね 北極でおやすみ

逗子のトンネル、去年の夏




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