合唱コンクールにて内省インマイヘッド 日記
いとこの合唱コンクールに行き、若い学生の合唱を聞いた。
私は合唱が好きだ。歌っている時の、脳に酸素があまり行かなくてふわふわする感じとか、私とみんなの声がひとつになって会場を満たす感覚とか。中学も高校も合唱コンクールは真面目に参加をしていた方だった。
先日、やはりJpopの合唱曲より、そうでない合唱曲の方が美しいと思う。と、友と話した。Jpopの合唱曲は、学生が声を合わせることを前提に作られていないような気がするから。(RADWIMPSの正解やスパークルはなんか綺麗だと思うけど)
大地讃頌とか、怪獣のバラードとか、虹とか、信じるとか、、、こういう、The・合唱曲は、歌詞が海とか空とか絆とかの話をずっとしててめっちゃ良いよねー、と話したのだった。
忘れてしまったのだけれど、
「この世にラブソングじゃない曲って校歌とグリーングリーンしかなくない?」
みたいな短歌があった気がする。じゃあカントリーロードもそれに当てはまりますか?
今回の合唱コンクールは、まず代表者が1分間ほどの紹介スピーチをし、指揮者と伴奏者がお辞儀をし、そして合唱が始まるという流れだった。
1番最初のクラスの紹介スピーチが始まった。そのスピーチから「全ての困難にぶつかっている人に届けたい歌」みたいなワードが聞こえてきた。それを聞いて私は、え?なんか壮大すぎない?💦背負いすぎじゃないかな、、💦と一瞬思ってしまった。
が、このクラスの合唱曲は「あなたへ〜旅立ちに寄せるメッセージ」だったので、私は全てを納得をした。
中学2年生の時に私達のクラスもこの曲を歌ったし、私は紹介スピーチをする人だった。
そして、当時の私も、「絶望と希望がなんとかかんとかな曲です!頑張って歌います!」みたいなことを言ったなと思い出した。思い出して恥ずかしくなった。
でも、これはしょうがないと思うよ。そういうことを言いたくなっちゃうような、エネルギーのあるかっこいい曲ですよ。
この世界の全ての合唱コンクールで、「あなたへ〜旅立ちに寄せるメッセージ」の紹介スピーチをする学生は、こんな感じになるんじゃないかなぁと思った。
このクラスの、「あなたへ〜旅立ちに寄せるメッセージ」は、全体的に走ってしまっていたように感じた。そしてまた、5年前の自分たちのクラスを思い出し、ああ、自分たちのクラスも最後ちょっと走っちゃってたなあ、と思い出した。あと、私達のクラスは男性の方が多いクラスだったので、ソプラノが少し小さくなっちゃってたかなぁ、とか、なんかアルトめっちゃ少なかったよなぁ、とか、てか、一組は「信じる」を歌っていたけれど、のアルト3人しかいなかったよな(アルトだった人が指揮者になったから)なんてことを思い出して、シットリしていた。
いくつかの合唱を聞き終え、いとこのクラスの合唱が始まった。
「春に」という合唱曲だった。
えー‼️全てにおいて、同意😭
えー‼️全てにおいて、同意😭
えー‼️全てにおいて、同意😭
えー‼️全てにおいて、同意😭
全ての言葉に同意したし、私の好きな先輩が作詞したのかと思った!そうしたら、谷川俊太郎が作詞者だった。😆🌻
私は毎日、一所懸命に輝かしい日々を送ってい
る。そうすると、今までの人生で培ったデータによる論理や、先人が発見したサイエンスが意味をなさなくなる時があると思う。
生きることは、生活を送るってことは、トロッコ問題みたいに正解がないことの連続で、矛盾みたいなことがたくさんあるので、
この世の全ての人に愛していると伝えたい気持ちと、消えたい、、、と言う気持ちが同時に発露するし(多分同じ素材なんだと思います!)大好きな人間と一緒にいるのに、何故かものすごい寂しいし、母に全てをわかってもらいたくて、でもわかってくれなくて、悲しくて、でも何回も挑戦をして、
そうやって営み
外を歩いていたらいきなり強い風が吹いてきて
風が私の身体を荒々しく、しかし優しく包んで、そうやって
(デデン‼️)
🌻全てが分かる時が、来る🌻
ワァ───ヽ(*゚∀゚*)ノ───イ
ワァ───ヽ(*゚∀゚*)ノ───イ
物事を右脳的捉えて整理して解釈して俯瞰して理解することが、もはや(誤解を恐れずに言うと❣️)稚拙に感じてしまうくらい、直感的に心がエネルギーで満たされて全てを愛したくなる時がありますね😆🫵
この気持ちはなんだろう。。。
この気持ちってなんだろう。。。
この気持ちはなんだろう。。。。。
この気持ちってなんなんだろう。。。
ってずっと考えていたら、いつの間にか休憩時間になっていた。
次に初学年、そして最後は最高学年の合唱だった。しかしその間私はずっと自分の学生生活のことや合唱コンクールのことについて考え続けていた。
小学校の時は合唱が特別好きだったわけではなかったが、中学になってから好きになった。
男性のクラスメイトが声変わりを迎え、低い歌声を出せるようになったことや、歌詞に対して熟考するような情緒をだんだん得ていったことや、何より小学校に比べて学生数が3倍くらい増えたことなどによって、私は合唱が好きになったのだと思う。
中学一年生のテスト勉強の時にはRADWIMPSの正解の合唱バージョンを流していたし、私は絶対卒業式にこれを合唱するんだろうと信じて疑わなかった。
あと、今思い出したけれど、私が中学で合唱が好きになった一番の理由は、中学一年生の時に聞いた中三の先輩の歌声が当時の私にとって凄すぎたからだと思う!
まず、中三の先輩たちは完全に声変わりが完了していたので、テノールに加えてバスがあった。
特に、クラス合唱の「流浪の民」と、「あの空へ〜青のジャンプ〜」が本当にすごくてすごくて、、素晴らしかった😭
だから、自分が中学3年生になった暁には、合唱コンクールのクラス合唱で「あの空へ〜青のジャンプ〜」を歌いたいなー、と密かに思っていた。
でも2020年にコロナ禍になってしまい、もちろん合唱コンクールは出来なくなった。
修学旅行にも行けなかったし、卒業式に合唱をすることも出来なかった。
(余談すぎるけど、修学旅行に行けなくなったことが確定した時、生徒の私たちよりも校長先生が1番悲しんでいた。なんか泣いていて、普通にビビってしまった。)
(あともうひとつ、卒業式に何を合唱するか、学年全体で投票を取った結果、1票差でGReeeeNの「遥か」になったので、いずれにせよ「正解」を歌うことは出来なかった)
だから、中学を卒業してからRADWIMPSの「正解」をきくと、少しやるせないような宙ぶらりんな気持ちになる。し、YouTubeで「あの空へ〜青のジャンプ〜」を聞くと、中学一年生の時に抱いていたあこがれが蘇り、胸がいっぱいになる。
高校1年生もコロナ禍のために、合唱が出来なかった。しかしできなくてよかったと思っている。
まずクラスの仲がそこまで良いというイメージはなく、神に捧げたくなるような合唱をするイメージが持てなかったし、形式上決まった曲は嵐の「カイト」という曲で、こんな歌嫌だなと思っていた。だから、合唱コンクールが出来ませんとなった時、まあいいですよーと思っていた。
高校二年生の時は合唱コンクールをすることが出来た!だが、歌うことになった曲はCOSMOSで、ちょっとこんな曲は嫌なんですけど、、💦と正直思っていた。
私の中でCOSMOSは小6とか中一が歌う曲だと何となく思っていたので、こんな簡単な曲は歌いたくないなと思っていた。
アンチすぎて、ソプラノアルトテノールをSpotifyで全て聞いたりしていた。そして、こんな曲簡単すぎて合唱を私ひとりで完結出来ますよー、と全てのパートを覚えていた。ある日の深夜に思い立って、各パートを歌い録音して編集してひとつの合唱にして友人に聞かせたのだった。変すぎる何してるんだ普通に💦
本番は、マスクをつけて歌わなくては行けなくてそれは本当にやるせなかった。マスクの有無で感染が変わるとは、全然思えなかった。
といった感じで、目の前にいる私よりちょっと若い学生たちの合唱を聴きながら、自分の学生生活と合唱ライフを思い返していた。
そうすると、私は合唱をしたいしたいと唯1人で思っているだけで、共有をせず協調をせず主体性もなく。別に合唱委員になったわけでもなかった。
コロナを理由に被害者意識を持っていたが、少なくとも高校生活の合唱においてはもっとベストを尽くせたかもしれないなと思った。その事実が1番悲しくて、もう一度高校生活をやり直したいなとまで思ってしまった。
コロナによって、私の中学校は合唱コンクールが出来なかったわけだけれど、その代わりに文化祭のようなものを行った!
それは、各クラスで7分間の映像作品を発表するというものだ。演劇や音楽に合わせて歌って踊る映像作品が主だった。
私たち3年3組は岡崎体育のMUSIC VIDEOを再現する映像作品を作った。これが本当に楽しかった!
岡崎体育の曲調とユーモア、シュールさ、それが学校内ので撮影され、制服姿の学生が和気藹々としているあの映像作品は、本当に泣けてきますよ。今見たら泣くと思います。
私は文化祭担当の委員だったので、企画提案や演出をみんなと一緒に考え、撮影をしたり仕切ったりなどをした。そして、その映像をNくんがCapCutで編集してくれた。
もうその映像は手元にないが、今も鮮明に思い出せるほど大好きな作品だ。
そして、文化祭が終わったあとに、担任の先生から「中原はクリエイティブなこと向いてるよ!」みたいなことを言われ、それがすごい嬉しかったことを思い出した。この言葉をきっかけに私は美大受験を目指したような気がする。この日を境にYouTubeで美大受験の動画を沢山見て、ショナビチャンネルに出会ったのだ。
コロナ禍で合唱コンクールは出来なかったけれど、文化祭が出来て良かった。岡崎体育のMUSIC VIDEO再現映像作品があったから、今の私がいるんだ。と気づいた。
コロナは私たちから色んなものを奪っていったと思っているし、高校入学初日から高二の終わりまでマスクをつけていた事実はやっぱりちょっと嫌だし、2020年の自粛期間は私の心は閉鎖的で毎日脳が煩雑で毎日泣いちゃいそうだったり泣いたりしていたし、考えれば考えるほどやるせない気持ちになる。
でも、コロナがなかったら、コロナがない世界線だったら、と思うことは。
まず、この4年半の全ての美しかった出来事や情景や大好きな人々に対する否定みたいになる気がする。し、コロナがなかったら私は芸術をしていないかもしれない。何より、コロナがなかったら、私の部屋に3月の風は吹き込まなかったと思う。
そう思うと、自粛期間のしんどすぎた日々も学生時代のやるせなさも、全て受け容れられるように思えた。
合唱コンクールの最後の曲は3年生による全体合唱の「大地讃頌」だった。
私が中学一年生の時も、3年生の全体合唱は「大地讃頌」だった。その音圧に全身が痺れたことを覚えている。
大地讃頌を聞き終わり、私は帰ることにした。
予備校まで行く途中の道に、ストリートピアノがあった。女性が「君をのせて」を弾いていた。引き終わった女性に、素敵でした!とお伝えし、私もストリートピアノを弾くことにした。ストリートピアノでしっかりと曲を弾くことは人生で初めてだった。何故なら、私はピアノが好きじゃないまま長いこと続けていて、ネガティブなまま辞めてしまったし、まずそこまで上手じゃないので、こんな公で弾くべきでは絶対にない‼️と学生時代にずっと思っていたのだ。
でも今日は独りだし、周りにあまり人はいないし、私が今私のためにピアノを弾いても誰も怒らないんじゃないかなと思った。なにより、合唱コンクールの歌声に当てられて、ちょっと気持ちが昂っていた。
まずは触れてみて、たまたまそれがソの音だったので、そのままミとドを同時に引いて、左手を合わせていって、出身小学校の校歌を弾いた。全然ダメダメだったけれどなんとか弾ききることができた。
次に、「君の知らない物語」という曲を弾いた。これは小学六年生の時に発表会で弾いた曲だ。他の友人はクラシックを弾いている中アニソンを弾く私を、親や親族はどう思っていたんだろう。1人の親族に、「アニメの曲じゃなくてクラシックにしなよ」と言われたことを思い出し、ちょっと悲しくなった。
たくさん間違えたけど弾ききることが出来た。もちろん誰も拍手をすることはなく、私はそそくさと帰った。