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推しの推し方は人それぞれ

界隈がまたなんとなく荒れている

ぐっと堪えるの上手な人多い印象なのですが…
正義感が強いのかな?言わないでいられない人がでてきますね

そうすると
そんな事言わないで
人それぞれなんだから
という別の正義感が現れる

そしてそれがまた加熱して
しばらくすると

争うのはやめましょう
どうして叩くんですか?っていう
また別の正義感が現れる

もうこうなってくると
論点が変わって元々何の話だったかわからなくなる
なんとなーく殺伐としてイヤーな感じがする

SNSの使い方って本当に難しい


自分の胸の内を吐き出して聞いてもらえるだけで気持ちが楽になることもあるし
それに同意してくれる人がいたらもっと楽になれるだろうな
と思ってつぶやいたりすることもあるでしょう?

でも万人に受け入れてもらえるなんて到底無理だし
もしかしたら誰かを不快な気持ちにさせてるかもしれないという危険を孕んいるのも間違いない事実

「観ません」宣言

「観ません」宣言は
同じ苦しみを抱えている人にとっては安心材料になったはず
でもそうじゃない人の中には
ゆんぎさんが、ARMYを思って用意してくれたのに…と嫌な気持ちになる人もいて然りなことを忘れてはいけないと思うのよ

推しの推し方は人それぞれ

間違いない
推しに迷惑がかかる行為さえしなければ
自由だし、他人がとやかくいうことじゃない

実際、D-DAYの日本公演は私にとって今まで振り返るのさえ辛いコンテンツだったから
今回も恐る恐る観た

結果驚くほどすっと私の中に取り込めたし
ゆんぎさんのパフォーマンスのすべてが素晴らしくて感動しかなかった
チケット争奪戦のことを思い出せばやっぱり胸の痛みが蘇るし
その場にいたらここにいたんだよねっていうすごく大きなおまけの気持ちがついて更にのめり込めたかもしれないけれど
ゆんぎさんのせいじゃないし

それとゆんぎさんのパフォーマンスを切り離して見られるほどにきれいな映像だったし素敵なコンサートだったことは間違いない

だってあんなに体調の悪い中、一切手を抜くことなく
力の限りやりきってくれた舞台を円盤にして残してくれて
そこには終始ゆんぎさんの笑顔が散りばめられて最高に幸せそうだったから

ゆんぎさんの幸せが私の幸せだ

シュチタもそう
ワルツ終わってファイナルまでの1ヶ月、ファイナルから入隊までの1ヶ月半
体も心も疲れ切ってゆっくり休みたいはずなのに
そのしんどくて短い期間にこんなにたくさん撮ってくれていたんだと思うとそれだけでもう胸がいっぱい

その1回1回が私にとっては宝物だし
ゆんぎさんの少しずつ上がっていくMC力も見守りたいし
今まで培ってきた生きる力も他人への優しさも全部知りたいし
その一つひとつの言葉もきちんと受け取ってゆんぎさんみたいに自分の生きていく糧にしたい

荒々しく噛みついていた町ネコをすっかり丸いもち肌にゃんこにしてくれたゆんぎさんが大好きな周りの方々を知って私も好きになりたい

終わりに


私、ゆんぎさんがどんな姿でもどこにいても何をしても全部受け止めていつまでも応援していきますって
ゆんぎさんにメッセージを送ったことが何度もあるのです
その言葉に嘘はないと証明したい

そうやってこれからもゆんぎさんとお付き合いしていきたいんです、私はね
20年も30年も一緒にね


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