テキストについて考えた

テキスト上ではかなりお久しぶりでしょうか。
随分ここを開いていなかった間に、noteは様々なサービスを工夫して進化していました。
その間に自分はどれだけ進化しただろうと考えてみましたが、縮みこそすれ伸びはしないお年頃、キープするのすら精一杯でした。
考えてみたら「テキスト上は」と書いたものの「他のSNSは文章書いてるしな」と思ったり「いや、思うところあってそれすらも最近ちょっと少ないな」とか「インスタはそもそも写真とかが中心だよな」とか「写真ですら撮らないもんな」とかぐるぐる考えているうちに早くも眠くなって来てしまいました。早いよ。

そんなこんなで去年は(正確には一昨年だけど)自分のバンドのアルバムもリリースしてツアーも全国あちこちいっぱい回ってコロナ禍でものたうち回っていましたし、伴ってテキストも残したりとあれこれアウトプットしていました。
その中で気付いたのは「曲を作るのと同じぐらいテキストを書くのが好きだ」という事でした。テキストを書くのは全く苦にならないんです。眠くならない限り。
なのでやはりテキストは残していきたいなと思って再び筆を取る事にしました。
待っていてくれた日本全国50億人のファンの皆様、お待たせ致しました。
私の頭の中に渦巻くマジで役に立たない駄文を垂れ流す時間が来ましたよ。
皆さんの時間をこの駄文で浪費させられるかと思うとゾクゾクします。

考えてみると、曲を作ることもテキストを書く事も間違いなく「自分の思考や感覚を可視化(可聴化?)して共有することが出来る」という素晴らしい行為です。
だがしかし裏を返せば「自分が普段どんな思考回路や感覚で生きているのか」という事が丸裸になってしまう諸刃の剣です。
でもそれを考えたら「他者と語る」もっと言えば「玄関でヤマトのお兄さんに対応をする」という事ですら自分の思考や行動原理の片鱗が見えてしまうという事になるので、おやおやうかつに人と交わると恥ずかしい思いをしてしまう可能性もありますね。
しかし魅力的な方なら佐川のお兄さんですらその魅力の片鱗で虜にする事も出来ますし、何ならセクシーな保険の外交員のお姉さんに家に上がってもらって自分のムスコの学資保険を満期にして掛け捨てにしてもらう事もワンチャンあるかも知れません。大丈夫かこれ。

まあ何であれ自分の事はアウトプットしなければ分かってもらえないし、アウトプットしたらバレてしまうしという諸刃の剣をブンブン振り回してきた人生なので、今後も皆さんと共に思索の迷宮で堂々巡りが出来たらと思う所存であります。いまさら恥ずかしがってる場合でもないしね。

という事で「考えた」のテキスト、再び書いてみようかと思います。
本当は毎日書きたいとは思っていますが、約束して破るのが辛いので不定期更新という事でここは一つどうでしょうか。

皆様からのお題も受け付けてみます。
必ず書くように心がけますが気まぐれで行きます。

最終的には書き下ろしも加筆して目指せ!書籍化!
駄文が好きで仕方のない編集の方のご連絡もお待ちしております。
どうしよう芥川賞とか直木賞取っちゃったら←本の事知らなさそうな発言

という事でリトライ初日から駄文以下のテキストとなりましたが、ここから上がるから!いい感じに!

とりあえず別件の作業に戻ります。

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