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未成年〜未熟な俺たちは不器用に進行中 <記録>
ご覧いただきありがとうございます🙇🏻♀️
Xには文字数の上限もあり、語彙力がなく簡潔に纏める才能もないため長々と未熟な語彙ではありますがここに記録していこうと思います。
考察や憶測も含まれている部分がありますが、少量ですがさっそくドラマ未成年を振り返っていきたいと思います。
♦水無瀬のポケット
水無瀬は歩く時、たまに両手も見受けられたがほとんどの場面で片手をポケットに入れて歩いています。
片手をポケットに入れて歩く人の心理で、不安や弱さを表に出せないという気持ちが強い という特徴があるらしいのです。
自分の気持ちをころして実際は強くなんてないのにそう偽って生きてきた水無瀬。寂しいことも独りなことも慣れているんだと口ではいう水無瀬でしたが、こうやって行動に感情が現れていたことに気づいた時、水無瀬が弱くなれる場所になった蛭川、本当に君はすごいよありがとうの気持ち…
不安や弱さを表に出せないという気持ちの表れといえるこの行動ですが、明らかに意図的にポケットに手を入れない、気持ちに少し変化が見えたと感じる時がありました。
・6話蛭川母親自宅にてキスを交わした夜の翌日
蛭川の母親の自宅へ向かう時にはいつもの如くポケットに手を入れていました。しかし、翌日の帰り道は蛭川の母親に貰った唐揚げのメモをポケットに入れてすぐに手を出して歩いています。その後の海辺を歩くシーンでも、普段の水無瀬であれば確実にポケットに手を入れて歩きそうな瞬間ですが両手を出して歩いています。
あの晩のキスで2人はどんな会話を交わしたのか…蛭川がまともになりたい、変わりたいとやっと言葉にすることが出来たり水無瀬にいつものような不安さを感じることがなくなったりと、あの晩の出来事は個人的にもお互いにとっても意味のある時間になったのだと思います。この瞬間2人とも何か吹っ切れたようで、6話は後半にかけて怒涛の追い込みによって苦しい話ではありますが、私は好きです。
しかし7話で蛭川と真島の停学事件のあたりはきっと水無瀬にとって不安で分からなくて仕方がなかったでしょう…蛭川を公園で見つけた時も一度もポケットから手を出すことはありませんでした。
やはり、ポケットに手を入れるという行動に意味があるのではないかと感じた場面でした。
♦蛭川が置いていったもの
蛭川は引越しの時、水の音をあの家に置いていきましたよね。水無瀬への出すことのない手紙と共に。
蛭川があの家に残って生きてきた時間に相応しい表現が見つかりません。でもそれはとても大きな絶望だったでしょう。
そんな蛭川の救いであった水の音をあの家に置いていった蛭川。強い意志と覚悟に震えました。
というか、大切な水無瀬を傷つけるかもしれないから迷惑をかけるかもしれないからと水無瀬のために水無瀬から離れることを一人で決断した蛭川、きっとあの家で一人でたくさん泣いただろうな…
でも結局、蛭川の元には水の音も水無瀬も帰ってきて、出すことのないはずだった水無瀬への手紙には返事も返ってきて...
だから、蛭川がもう一度水の音のDVDを手にしていることが堪らなく嬉しいのです。
♦蛭川の変化
蛭川は人情深くて誰よりも優しい。
蛭川は水無瀬に出会う前は自分を嫌悪しながら生きて、水無瀬に出会ってからは水無瀬があまりにも大切で特別な人になりすぎたため未来の自分を信用しきることができない、そんな姿が見受けられました。蛭川には自分をもっと信じて自分自身のことをもっと好きになって欲しいと思っていましたが、大学で水無瀬と再会した時、高校生の頃とは違い今の蛭川は自分のことを愛しているんだなと感じました。
<この先からアフターストーリーのネタバレあります🙇🏻♀️>
アフターストーリー後編。海で2人が花火をしている時に蛭川は初めて水無瀬への気持ちを自分の言葉で声にのせて、"愛してる"と伝えました。
今まで声に出して水無瀬に好きだということを伝えてこなかったのは、蛭川は自分自身のことをちゃんと愛することが出来ていなかったから好きという言葉を水無瀬に直接伝えられなかったのではないかなと感じました。
本来は、"キスしていい?""キスして"などという言葉よりも"好き"という言葉を伝える方が多少は容易く感じます。しかし、蛭川は"好き"の重みが誰よりも分かっていたのかもしれません。親の恋愛(離婚)に1番振り回されたのは紛れもなく蛭川ですから…
なので、高校生の頃はどこか"好き"を遠回しにしているようなそんな雰囲気を蛭川から感じていました。
蛭川がずっとなりたかった"ちゃんとした人間"。
正直、蛭川は高校生の時からちゃんとしている印象でした。真島に教えてきた悪いことは一体どんなことなのか、どんなワル(万引き?)を今までしてしまったのか、その辺に関しては詳しいことは分からないのでなんとも言えないですが…引越しの時には高校生にも関わらず、蛭川にとっての母親はずっとあの人だけなのに、「あっちにはあっちの生活があるから」と寮生活をすると決めるような人ですよ。他にも未熟ながらもちゃんとしているなと感じる部分がたくさんありました。月日を経て蛭川がなりたかった、蛭川が思うまともな人間に、今はなれたんだね。良かった。
話が少しずれましたが、
アフターストーリーで描かれている映画監督になった蛭川を見て、「あ、今の蛭川は自分のことちゃんと愛せてる」と思いなんだか嬉しくなりました。
フロム・ライヒマンの言葉でこんなものがあります。
You cannot love someone more than you love yourself. (人を愛するならまず自分を愛せ)
自分を愛せるようになると、他人からの愛がなくても自分で自分を満たすことができ、心に余裕が生まれます。その結果、相手に愛を与えることができるようになるでしょう。
ここで10話の酔った水無瀬を迎えに行ったシーンを思い返してみますが、私は水無瀬と話す蛭川の様子に変化がありました。
大学生になり未成年だった頃と比べて大人になったということもあると思いますが、蛭川の喋り方や水無瀬への対応に少し余裕を感じられました。公園で介抱している時も水無瀬をおんぶしている時も、未成年の蛭川から感じた必死さや何を考えているのか分からないところをあまり感じませんでした。
これは自分を愛せているからこそ生まれた心の余裕だと思います…(涙)
だからこそ未成年だったあの頃とは違って、今の蛭川は水無瀬に"愛してる"と声に出して伝えることができたのだと思っています。
なのでアフターストーリーでの蛭川の告白には、今までの蛭川の葛藤や覚悟苦しみに立ち向かってきた日々、全てに打ち勝って乗り越えてきた蛭川の全てが詰まっているのです……
ここまでお時間を使って下さりありがとうございます🙇🏻♀️
語彙力も表現も決して上手とはいえない不器用な文章ですが、なんとか未成年に対する私の思いを私の言葉で消化したいと思い頑張りました( ; ; )
ドラマ未成年を観始める前は私にとってこんなに大切で良い影響をもたらしてくれることになるだなんて思ってもいなかったです。いつまでも私のそばに未成年が居て欲しいです。
まだまだ未成年に恋焦がれてこの気持ちを引きずっていくつもりなのでよろしくお願いします♪