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隣の芝生は青いのか否か
どうも、体力が有り余って寝つきが悪いのと
一目惚れして買ったアフリカンなワンピースを
可愛く着こなしたいという切実な理由から最近筋トレを始めた系女子の私です🙋♀️
効果が出てるかは、まだ分からん←
さて、私は今、石垣島でリゾートバイトをしながら
「コロナ禍での国際恋愛はやばい」だの「離島のビーチが綺麗すぎてやばい」だの
語彙力もまとまりもない文章を(本人的には)面白おかしく
お届けしているつもりな訳だけれど、まだまだ自分の人生に
満足出来ていないのだ。
まるで「意識高い系女子」のようで聞こえはいいが
この感情はそんなまともなものじゃないことは私が1番よく分かってる。
どう言うことかというと、『隣の芝生が青い』のだ。
日本で結婚・出産し幸せを手に入れた友人を見ると
「やっぱり私も生活するなら日本やな!」と安定志向に鼻息を荒くし
海外で異文化に翻弄されながらも逞しく生きてる友人を見ると
「いや、安定より冒険や。毎日がアドベンチャーな人生希望!」と
心を躍らせやっぱり鼻息は荒くなる。
キャリアを積み上げる友人と話せば、その頑張りに心を打たれると共に
私も「熱くなれる仕事」に出会えたらと考えてしまうし、
手に職をつけて気ままに世界中飛び回る人と出会えば
「私もいつか」なんて夢を抱かずにはいられない。
まぁ、その「いつか」は自分が行動しないと来ないことは
火を見るより明らかなのだから、がんばれ私←
私にとって隣の芝生が青いように
誰かから見た私の芝生は青いのだろうか。
ないものねだりで、手探りな人生に正解のない「ちゃんと」を求めて
彷徨いがちなのはアラサーの定めなのか。
「どこに向かっているのだろう」「この先にゴールはあるのか」
そんなことを歳の近いリゾバ仲間達と賄いを食べながら語り明かす。
精神的な自立、金銭的な自立、社会的な自立。
理想と現実、需要と供給、私と周り。
妥協ぜずに1つ1つ納得できるカタチに納めていきたい限りだ。
そのために何をすべきか、そんなことを考え始めた27歳目前の夏。
『必要』か『不必要』かよりも
『好き』か『嫌い』のほぼ2択で生きてきた人生の弊害が
思ったより大きすぎる(笑)