認識を広げる:その2の2 マインドフルネスについて【広がりのある視野を持つ】
前回、認識を広げるというテーマに関して、マインドフルネスについて考えてみました。マインドフルネスでは今に集中することを奨励されますが、その「今」は、過去や未来を強迫的・防衛的に断ち切ったバラバラの「今」ではなく、自然に前後が今に流れ込んでいるものだということを述べました。(そこでは触れませんでしたが、木村敏の「あいだ」理論では、音楽の演奏を例として、前後の流れの中で音楽を奏でていく場面の分析も参照していただくと良いと思います。)
さて、今回はその続きとして、空間的な側面について考えてみたいと思います。認識の空間的な側面なんていうと難しげな感じですが、体験との心理的な距離ということです。近年、認知行動療法に取り入れられているマインドフルネスでは、誤った認知(例えば、自分はダメなやつだなど)や強い感情(例えば、怒りとか)に対して、それに巻き込まれず、距離を保って眺めてみるという姿勢が奨励されます。いろいろ沸き起こる想念や情緒というものは、変わりゆく天気のようなものなので、それにその都度引っかかってしまうと振り回されてしまう(ついでに言うと、事件や事故などのニュースに影響を受けてしまう「共感疲労」というのも、その情報からほどよく距離が保てないことで生じると言えます)ので、自分の体験から少し距離を取って客観的に眺めましょうということになるわけですが、でもマインドフルネスって「今」の体験に集中しようということだったのでは?という疑問も湧きます。集中するってことは、体験に近づいていく(あるいは体験そのもの)ということのはずなのに、そこから距離を取るとはちょっと矛盾なんじゃないのか? 体験そのものに近づくのがよいのか、距離を取っているのがよいのか、どっちなんでしょう?
ここで認識を広げるという姿勢が役に立ちそうです。どっちなんだろう?という問いの立て方は、こっちかあっちかの二分法で考えているということになりますが、そのような二分法そのものを見直すことで、矛盾が多少なりとも解消されるかもしれません。
少し寄り道になりますが、以前、子どもの遊びについて書いたことを、今一度、ごく簡単に触れておきましょう。子どものごっこ遊びは、例えば積木を車に見立てるということをします。積木は積木で、車ではありませんが、子どもの想像の中では車になっています。もしも、積木を積木としか見れない場合、車として遊ぶことはできません。逆に、想像の中でのことに過ぎないのに、例えば積木の車が事故を起こしたという設定にあまりに没入しすぎて、言い方を変えると、体験そのものに近づきすぎて怖くなってしまうとすれば、遊びが遊びではなくなってしまいます。現実と空想、そのどちらかに近づきすぎてそればかりになってしまうと遊びが遊びとして成立しなくなってしまう。どちらか一方ではなく、両方を同時に重ね合わせることができるということは、現実の体験と空想の体験のそれぞれに対して距離を保つことと近づくことの両方を同時にやっているという言い方もできそうです。
さらに話が飛びますが、能の大成者である世阿弥が『花鏡』において、能を舞う心得のひとつとして「離見の見(りけんのけん)」ということを書いています。これは要するに、舞っている自分の視点だけから見るのではなく、離れたところ、つまりお客さんから見た自分の姿を思い描くことを勧めているわけです。確かに、自分の視点だけからしか見ていないということは、視野が限定されていて、自己中心的な舞になってしまいそうです。でもこのことは、以前書いた、鏡に映った自分のことと同じ問題をはらんでいて、お客さんからどう見えているかということばかりを気にしていたら、鏡のこちらにいる舞手の主体性が揺らいでしまいます。どっちか、という二分法ではなく、認識を広げることで、どちらもとらえていく。自分の視点、言い方を変えると自分の体験を見失うことなく、同時に他者からの視点も見ることができるようになるということが大事だということなんだろうと思います。
サッカーなどの団体競技では、プレイをしている自分の視点が重要なのはもちろんですが、より広く味方や敵方のプレイヤーの動きを見ることが大切だと言われます。動きを見るというのは空間的にフィールド上のプレイヤーたちがどこにいるのかということだけでなく、自分を含むプレイヤーたちがどのように動いていて、この先、どのようになっていくのかという時間的な経過も含めて見ることで、非常に美しい連係プレーが生まれるのでしょう(優れて創造的なプレイヤーのことを「ファンタジスタ」という言い方がありますが、想像力によって空間的・時間的に状況が読めるということなのかなと思います)。逆に言うなら、今、目の前にあるもの(サッカーの喩えで言えば、ドリブルしているボール)ばかりに集中していてはだめだってことですね。もちろん、目の前にあるボールを良く見て、上手にドリブルを続けていくという「今」のことに集中するのはもちろん大事なことですが、同時に、その「今」に流れ込んでいる前後の時間やまわりの空間も見ていることもまた、重要だと言えるんじゃないかと思います。
以上、二回に渡って(だいぶ間が空いてしまいましたが)、認識を広げるということについて、マインドフルネスというワードを手がかりに考えてみました。まだもう少し、広がりのある認識ということについて考えてみようと思っています。