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チバユウスケへの献花の会「Thanks!」

 12月5日の昼にあった訃報から、目に入る街並みの景色が額から外れている絵みたいだった。現実感が無かった。本当に多くの追悼の言葉がミュージシャン、ライター、著名人から送られ、NHKではトップランナーが再放送されて、Mステスーパーライブは「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」で始まり、遠山さんがtokyofmで追悼番組をやり、紅白ではタクマがチバユウスケと叫んでた。

 どれだけ高尚な魂も一つの命でしかない事に、打ちのめされた。11月6日にインスタに投稿されたおそらく本人からであろう「近々。」という言葉に期待し、(後に治癒復帰ではなくSUNDINISTA EXPERIENCEの事だったということがわかる。)オレ達のチバユウスケはやっぱり最強だと思っていた1ヶ月後だった。

 大井町からりんかい線に乗り、電車に乗る前も乗っている時も涙が込み上げてきそうな瞬間があったけれど、あぶねー大丈夫、台場に10時半頃着いた。当選したのは一般の献花最初の時間帯の12時からのものだった。それまで午前中に関係者の献花が行われている事を知らなかったので、メモリアルフォトらしきものを持っている人とすれ違い、何!!となったがzeppに着いて理解した。もうすでに一般の方も30人ぐらい並んでいて、自分も後ろに並んだらあっという間に300人ぐらいの列になっていた。余計な混乱を招かない為にかチバユウスケ献花の会という文字は見当たらず、しかし黒色の服を来た大勢がzepp前に集まっていた。自分の前に並んでいる人達が皆スマホを見ず、ただずっと前を向いて開場を待っていたのが忘れられない。

 zeppに行くまでと並んでいる間に、見間違いでなければイマイアキノブ、THA BLUE HERBのBOSS、w.o.dのサイトウタクヤとKenMackay、10feetのナオキとコウイチ、ELLEGARDENの生形真一を見た。KANA-BOONぽい人も見たがこれは自信がない。人望の厚さと敬意の大きさが窺える。改めてチバユウスケの音楽を愛した事を誇りに感じた。この場でなければあんなに近くにいた彼らに話しかけたが、流石に今日は無粋だった。

 11:45には地下に案内され「16 Candles」が流れる。階段で待ちながら、既に大泣きしている人もいた。自分は最後に伝える言葉が上手くまとまらず緊張していたが、なんとかまとまった。すすり泣く声がたくさん聞こえた。「16 Candles」の4周目が流れたあたり、スタッフさんの「もう11時57分なので」というやり取りの後に開場された。「16Candlse」が終わり「ドロップ」が流れた。入場者にはガーベラが一本ずつ配られ、黄色のガーベラを一本受け取った。メインホールまでの通り道にアミタマリや新保勇樹の写真が飾られていた。全て右下にサインの入っている本物の写真が、メインホールの中まで飾られていた。

 1人ずつの献花ではなく、横並び同時に10人ぐらいで献花できるような形になっており、急かされる事無く献花できるようだった。遺影は訃報が知らされた時に使われたマイクを大きく頭上に掲げた、VIVIANのツアーでこの会場で撮られたあの写真だった。「ブラック・ラブ・ホール」が始まりそうなあの写真だ。マイクなしの「くそったれの世界」で会場大合唱かもしれない。チッタで見たあの瞬間は今でも目に焼き付いている。「ドロップ」が終わり、「I was walkin'&sleepin」が流れた。一礼しガーベラを献花台に添え、手を合わせ眼をつむった。自分なりの大袈裟ではない身の丈に合った、しかし真摯で偽りのない言葉を選び感謝を伝えた。涙は見せずに直視してこの場所を迎えられた。遺影の後ろには星屑のような飾りが、遺影の下チバのテネシーブラックが飾られていた。フジロックでライブ前にステージ上にこのギターが置かれ輝いていた事を思い出した。

 時の流れは大きくて、涙を乾かして大きかった傷は治り、忘れていく。はず。なんだけど、今日まだ自分が悲しんでいる事に気付いてしまった。献花の後に話した方から盛大な貰い泣きもしてしまった。整理はついたと思っていたけれど、しっかり受け入れたと思ったけれど、いなくなってしまった事がやっぱりまだ悲しかった。
 だけどいつまでも悲しんでいられない。しっかりしないと。残された自分の人生でやり遂げたい事があるんなら、より良いものにしたいと思うなら、もう行かないと。時間は限られているから。もう前に進まなきゃ。あなたから学んだ事はそういう事なんだ。
 未来はどれも同じじゃなくて、選んだ方に向かうんだから。言ってくれた、あなただけが。そういえば今日雨の予報じゃなかったっけ。晴れバンド。

2024.1.19 @zepp diver city


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