
Contrived な書き方を卒業したい
日記は英語で書く。日本語で書くと、言葉が見つからなくて、見つかっても漢字がわからなくて、スラスラ書けない。
英語に憧れる人は、こんな私の悩みを自慢だと思うらしい。自慢なんかじゃない。悔しくて仕方がない。
「何語で考えるの?」とよく聞かれるけど、どうなんだろう?日常的なことなら、日本語。だってスーパーでみかん🍊を買おうとした時、わざわざ「I want to buy mandarin oranges」なんて考えるわけがない。
「A社のBさんに提案を出さなければ」と思う代わりに「I need to submit my proposal to Mr.A of B Corporation 」なんて考えようとした辺りで、「Mr.A なんて呼ばないわ」とか「この会社はCorporation でよかったのかな?」なんて、いちいち面倒だもの。
でも、自分の中から何かを生み出そうとした時 ー 創作活動というのでしょうか? ー そんな時は、英語のほうが楽。
そんなとこに気づいたのは、つい最近。
毎日の日記が面倒になって、挙句に英語で書き始めたら、ペンが止まらなくなった。どうしよう、止まらない。
どちらも、私にとっては使える言語なのに、こんなに違うのかと、不思議な気持ちになった。
自分が書いた文章を眺めていたら、日本語と英語で書くことの違いが少し見えてきた。私が書いた日本語を見ていると、「contrived」という英単語が浮かんできた。
「Contrived」とは、自然ではなく、作られたような、あるべき姿を装った感じで、本物ではない様子。
私は、英語でしか、ありのままの自分を表現できないのかな?と、ちょっと悲しくなった。
ありのままの自分を日本語で。これにチャレンジしていくために、ここで毎日描くことにした。
英語的な発想とか、訳がわからないことを書いてしまうかもしれないけど、その辺は突っ込まないでほしい。
頭の中が英語の人は、こんな言い方をするのか、と面白おかしく読んでくれたら嬉しいです。