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ラジソンへの憧れ

昨日から、一部の地域でラジソンをやっているようです。


該当地域の方々にとっては何でもないことだと思いますが、ラジソンとは↓の略で


早い話が24時間ラジオってことですね。


私はradikoで全国のラジオを聴くようになってから、その存在を初めて知りました。


すごい企画があるものだなぁと驚きました。


こんな寒い時に募金活動をしたり、番組を夜通し放送したり、大変そう…


でも、ちょっとラジソンをやっている県がうらやましいとも思いました。


なんか、"同じ時間に、一つの目的で多くの人が同じこと(番組の視聴)をしている"と考えると、孤独が紛れて心強い気持ちになりませんか??


だから私はわりと、夏にやっているあのテレビ番組も観てしまいます。

(いろいろ黒い噂があったり、感動ポルノと言われたりしてるのを知って、100%純粋な気持ちで観られなくても、です。視聴者のあるべき姿として望ましいかどうかはわかりませんが…)

テレビやラジオ越しであっても、人が団結してるエネルギーって伝わるんでしょうね。


また、私はこれまでにもnoteに書いていますが、ラジオがリスナーに寄り添ってくれる雰囲気や、昼夜問わず放送をしてくれる点が大好きです。


だから、冬至を過ぎたばかりで夜が深くてとても寒い今の時期、ラジソンの存在って大きいように感じます。


深夜に真っ暗な寝室でつけるラジオは、ろうそくの火のようです。

私は必ずイヤホンを使うため、その音がイヤホンを耳に当てている自分にしか聴こえません。


でもその、儚いろうそくの火のようなかすかな音が、絶大な安心感を与えてくれます。


だから、ラジソンってありがたい試みだなと思うのです。


ただ、これは自分の県でやっていなくて、実情を知らないから言えることでもあると思います。


ただでさえ年末だから皆忙しいだろうし、体調も崩しやすい時期だし、毎年嫌々借り出されてる人もいるかもしれません。


また、県内のあちこちに募金場所を設置して番組を盛り上げているようですが、この寒い時に県全体が一致団結できるのだろうか…


例えば、岩手とかあんなに広いのに。


そう、ラジソンは私が日本一好きな岩手のIBCラジオでも行っています。


私は岩手との県境で育ったから、買い物はいつも岩手の一関に行っていました。


だから小さい頃からラジソンの存在を知っていてもおかしくないと思うのですが、本当に全く知りませんでした。


子どもの頃は募金とか興味がなかったからですかねー…


ラジソンの募金会場は一関にも設置されるから、めちゃくちゃ行くチャンスあったのに!!


…と、後悔の気持ちが止まりませんが、でもやっぱり隣であっても県が違うというだけで全然文化が違うんだなと実感します。



ところで、ラジソンは「目が不自由な方々のために音の出る信号機を」ということで募金を募っていますが、支援が必要な人は他にもいるよなぁ…と不思議でした。


あらためてWikipediaを見たところ、番組が始まった昭和50年ごろは目が不自由な方々のラジオ聴取率が特に高かったから、だそうですね。


まぁたしかに。


それはそれでもちろん良いかもしれないけど…


でもさぁ、これはラシソンに限ったことじゃないけど、


今って自分も含め、国民の多くが「貧しい人」「恵まれない人」に該当するよね…


今年、いろんな募金に協力していて思ってしまいました。


ギリギリ生活できてるから良いとか、募金に回せるお金があるから良い、という問題ではないんじゃないですか?


もちろん、障がいなどを抱える方々の支援も必要だけど、国民全体を支え合う"何か"も必要じゃないでしょうか…


しかし昨夜、IBCのラジソンを聴いていると、視覚障害に限らずいろんな境遇で生きている方々のメールが紹介されていました。


だからラジソンがさまざまな人の心の支えであり、活力になっていることがわかりました。


番組でそのようなコーナーを聴く前は、みんな他人の世話をしている場合なのか⁇と思っていましたが、「誰かを支援したい」という気持ちは人を元気にするんだなぁと感じました。


メールを送った人、聴く専門の人、募金した人、みんなが穏やかに年末年始を過ごせるといいなぁと思いながら聴きました。



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