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セラピストに必要な知覚力を磨く方法①

1,セラピストにとって大切な「知覚力」

昨今、リハビリ業界ではエビデンスが重要視される風潮が強まり、「誰でも同じように結果が出せるリハビリ」が要求されるようにもなってきた。それはリハビリの価値を担保する上で大切な事ではあるが、一方で対象者の「個別性」を捉えた介入が置き去りになりつつあるとも感じる。
マニュアル化されたリハビリの流れはセラピストの迷いを減らしたが、その一方で思考は単調となりやすく、重要な手掛かり(Critical cues)を見落とす危険性も増えた。私はセラピストの臨床推論能力が置き去りになってはいないか…と不安を感じている。
 重要な手掛かりを見落とさないため、「個別性」を追求したリハビリを行うためには「何」が必要か。それは「どのようにして」習得できるのか。それらについて著書『知覚力を磨く―絵画を観察するように世界を見る技法』(神田房枝;ダイヤモンド社)で学んだ事を踏まえまとめてみたいと思う。

2,「知覚力」を磨く上での基礎―ゼロベース

人間の知的生産には『知覚→思考→実行』という3つのステージがあり、知的生産の出発点には知覚がある。

“最上流”にある知覚を変えることでその“下流”にある思考・実行が変わるという発想だ。臨床に置き換えると観察力・触診力・聴取力といったものを変えることで、治療の選択・判断の質を変えることができる…ということになるであろうか。

知らぬ間に育ってしまう慣例・偏見・しがらみに縛られることなく、専門的知識さえもひとまず脇に置いてゼロベースで観るということは、知覚を高める上での基本中の基本である。

臨床家は経験(※自己研磨している事が前提)とともに評価・治療技術が高まると思われるが、一方で主観で判断してしまったり、得意な思考・手法に引っ張られる恐れもある。「ゼロベースで観る」…これが知覚力を高める上での基本となりそうだ。

3,「知覚力」を磨く4つの方法 

著者は「知覚力」を磨くために4つの方法を提示している。①「知識」を増やす、②「他者」の知覚を取り入れる、③知覚の「根拠」を問う、④見る/観る方法を変える…である。これらを臨床的視点も交えて考えてみる。

① 「知識」を増やす

脳内に貯蓄されている知識が多ければ多いほど、より幅の広い解釈の可能性が見込める。

知識の偏りは解釈を狭めることになる。最近の身近な例で言うと…上肢の○○療法を主軸に介入する際に姿勢コントロール(下肢・体幹との関連性など)の問題に気付けずに十分な結果を出せないケース、複雑な高次脳機能の問題が隠れている症例に対し注意力(という便利な用語)で片付けてしまい本質に迫れないケースがあった。いずれも解釈の範囲が狭まってしまった典型例ではないだろうか。著者は「慣れ親しんだ分野の外にも広く『学びのアンテナ』を貼る」ことが重要と述べている。

② 「他者」の知覚を取り入れる

『自分にはない知覚』を得たければ、経験や背景がまるで異なる人物に対してオープンになるのが間違いのない選択である

これまでの臨床を振り返ると、分野によってはオープンどころか対立構造すら生じているものもある。ボバース概念 VS CI療法はその典型例だろう(※これまでに研修会やSNSで目にすることが多かった)。ここでは割愛するが、互いの得意・不得意な側面はあるし、用語は異なっていても中身・本質は共通するところも多い…私はそう感じている。
他分野の思考が融合した良い事例もある。数年前の高次脳機能障害学会、失行の講演の際に「アフォーダンス」という用語での解釈が述べられていた。高次脳機能領域に生態心理学の用語が出ていたことに驚いた。きっと物事の本質を追求していくと、どこかで行き着く共通要素があるのだろう。知覚の幅を広げるためは自分の殻のなかに閉じ籠るべきではない。本質を追求し、柔軟に他者の知覚を取り入れたいところである。

③ 知覚の「根拠」を問う

著者は問答法を提案している。「なぜ自分はそのような意味づけをしたのか?」と自ら問うのである。その知覚を生み出した根拠を自ら問い、検証する。そうすることで、自分の中に眠っている知識を改めて呼び起こし、知識を体系化することに繋がる。
「この仮説は間違っていないか?他の仮説(可能性)はないか?」といった臨床推論の思考過程を疎かにしてはならない。限られた臨床時間の中でこのサイクルを回すことができる者は…きっと大きく成長するのだろう。

④ 見る/観る方法を変える

五感を通じて得る情報の多くが視覚由来である。知覚の質を高めたければ、まず自分の眼が『何を/いかに見るのか』をコントロールしていくのが、最も効率的である。

著者は現代人に大して「『純粋によく見る』という行為をしていない」と指摘する。マルチタスクに心を奪われたり、何かを期待して見たり、なんとなくぼーっと見たりしてしまう。「何の先入観も持たず、目の前の事物・事象をありのままに理解する『観察』が入る余地がない」とも指摘している。
臨床では重要な手がかりを見つけにいくようなトップダウン的な観察はもちろん重要となるが、同時にゼロベースで純粋に観察する視点も必要である。そうすることで今まで気づかなかった重要な手掛かりにたどり着くことができるかもしれない。トップダウン的観察とボトムアップ的観察、すなわち「目的を持って探す眼」と「純粋に見る眼」の両方を備えることが重要である。


【参考書籍】『知覚力を磨く―絵画を観察するように世界を見る技法』(神田房枝;ダイヤモンド社)


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