好きという感情の素晴らしさと、それを言語化しようとする糞さ
いつからか「自分の気持ちは自分にしか分からないし、言葉は相手が勝手に解釈するからなるべくちゃんと言語化しよう」みたいなのを思ってまして、そうしたら感情的な話が減りました。
周りに悪い方に感情が振れる人が多いので、感情的な話が減るのは凄い良いんですけど、楽しい会話ってそうじゃねえよなってのも思うわけです。
僕絵を描いたりするんですけど、あなたの絵好きーって物凄い威力のある言葉なんですよ。もう果てしなく嬉しい。
こういう所好きーって伝えられるのももう果てしなく嬉しい。
あなたの絵はこうこうこうで、こうなのでこう評価します。って嬉しいんだろうけど、そんなにだなって思うんです。
僕が受け取る側だったらそう思うくせに、伝える側に立つと3番目の方法を取るわけです、まじで糞。
言葉は相手が勝手に解釈するってのを悪い意味で捉えてたんですけど、好きって大抵勝手にいい方向に広げるんです、僕の場合。
相手が50くらいの気持ちで伝えたとしても、勝手に100にするわけです。
って言語化して納得する癖がどうにも抜けなくて、多分言葉で理解できない事は不安でしょうがないんだと思うんです。
好きをそのまま伝えられる人が眩しく見えるここ最近です。
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