変わりゆく価値判断: 「ちむどんどん」
最後のシーンの暢子の表情がすごかった!
心の機微をああもみごとに表現するとは、おそろしい子 (役)・・・! (白目)
大おばが4人の子のうちひとりを養子に、ってこれもまんま若草物語。
4人全員が自分が行く気満々というのは、東京への憧れもあるだろうけど、
誰か1人が行かないことには家計が立ちゆかなくなるということをそれぞれ
理解しているからなんだろうな、とは感じた。
ただ、いざとなったらまったく頼りにならない長男および長女 💧
特に賢秀、前記事でいいところもあると書いたけど、ただのヘタレじゃん;
良子がチラッと言ってた 「お母ちゃんはニーニーが一番かわいい」 って、
これホントだね。
初っ端から賢秀にだけ妙に甘かったから。
だから責任感に乏しいヘタレになるんじゃん?
強いてフォローするなら、ヘタレ=絶対にダメな性質とは限らず、危機回避
能力の高さにもつながるといえるかもしれないけど、それはつまり責任逃れ
が上手いということでもあるから、あまり "信頼" はされないだろうね (フォ
ローになってないか)。
そして追いつめられる母親の前で、自分が行くと手を挙げる暢子。
彼女の好奇心や冒険心、あるいは昼間聴いた青柳父の話を彼女なりに消化
したゆえでもあったかもしれない。
けれどそれ以上に、自分が要らない子として選ばれるのを回避しようという
心理が働いた、と思えてならなかった。
お父ちゃんが今際に、自分にだけ明確な言葉を遺さなかったことが、心の
どこかに刺さったままじゃないだろうか?
もう確かめるすべがないぶん、自分はお父ちゃんにとってどうでもいい子、
という思いがわだかまっていないとはいいきれないだろう。
決断を迫られて、お母ちゃんがお父ちゃんの遺影に目線をめぐらせる様子が
インサートされた ―― 迷い、亡き夫に判断を委ねる無意識の狡さ。
かわいい長男、弱い長女、幼い末っ子。
暢子のことを、信じている・・・
・・・ そんなこと、暢子は聞きたくなかったにちがいない。
だから、私は自分で決めて行くんだ。
捨てられるわけでも見放されるわけでもなく、自ら望んで。
東京には和彦くんもいるし、おいしいものがいっぱいあるから!
決断した暢子の方へふり返った賢秀の表情に、恥の色がまったくないのが
印象的だった。
当時の価値観でいえば、長男のくせに妹に嫌なことを押しつけて情けない、
とみなされたことだろう。
そういう情けなさを、今の時代に描くことに、意外な新しさがあるのかも
しれない。
長男だろうが年長者だろうが、嫌なものは嫌だもの。
男たるものが年少者や女の子をかばって矢面に立つことばかりが正義、と
いう時代でもないのだろうから。
(だから、某国で男性のみが戦力として国外へ出ることを禁じられている、
というのは甚だ前近代的だと思う次第。そもそも、戦❘争自体が時代錯誤
なのだけれど)
それにしたって、泣きそうな瞳でほほ笑む暢子は切なかった。
弱いもの小さいものを苦しませ悲しませることは、いつの時代であっても
許しがたい、と思うのであった。