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第79回放送後記

皆さん、こんにちは。
授業課題の答案が他の人たちと全然違ったのですが、「信じ抜くんだ、たとえ一人になっても」というプペル精神で自信満々に回答したら、見事にハズレだった石川です。
しばらくは、周りに流されて生きようと思います。
さて、新町さんに叱られそうなので、遅れている放送後記を巻き返すべく頑張りたいと思います。
まずはアーカイブから。

【ダイジェスト】

⚪︎楽屋トーク(はじめ〜)
娘がスマホで写真を取る時

⚪︎オープニングトーク (2分40秒〜)
新コーナー「プペルで、ビルマ語プチ講座」

⚪︎情報アップデート (7分10秒〜)
・サイクロン被災、ASEANの支援物資到着 (NNA)
・ミャンマー軍政の兵器輸入10億ドル、大半が中ロ (CNN)
・G7の陰のミャンマー (中日新聞)

⚪︎プペルで、ビルマ語プチ講座 (14分10秒〜)
タイトル、「信じ抜くんだ、たとえ一人になっても」

⚪︎テーマトーク「ミャンマーから発信する事の意義」 (21分〜)
・新町: ミャンマーから離れていればいるほど、自分の発信の価値が薄れている(21分〜)
・石川: ミャンマーに行けないことへの想い(23分45秒〜)
・色々な日本人がミャンマーに関わることの特別さ(25分50秒〜)
・去年よりも見えてきた希望、外国人がミャンマーに住む意味(27分45秒〜)

⚪︎エンディング (30分46秒〜)

【まとめ】

新町さんのnoteをお読みください。

新町さんの覚悟とミャンマー愛が熱々のまま伝わってきました。
おそらく、僕が想像する以上に、日本に残す家族のことなどを考えるとミャンマーへ戻ることは後ろ髪を引かれる感覚だと思うのですが、それでもブラックボックス化しているミャンマーで日本人が活動・発信することには大きな意義があるはずですし、逆に言えば、ここまで人を惹きつけるミャンマーという国にも、何か大きなパワーや希望があるのだろうと思います。

一方、自分は日本から、クーデター以降ミャンマーのために出来ることを続けてきました。
やはり現地に足を運べていないことへの悲しさや悔しさは感じますし、ミャンマーのことを伝えたいと思っても発信できることに限界が出ています。
仮に民主化運動に参加していなければ、もう少しミャンマー渡航実現へのハードルは低くなったかもしれません。

ただ、僕が行きたいミャンマーは、軍の弾圧や監視に怯えながら市民が暮らす国ではありません。
大切な友人達を含めた街中の一人ひとりが、穏やかな笑顔で毎日を過ごしているミャンマーに、もう一度行きたいと願っています。

そのためには、ミャンマーが(本当の意味で)平和になるための手伝いを、僕たちもしなければなりませんし、そうすることが近道だと思っています。
今の自分には、ミャンマーに行って何かにすぐ貢献できる地盤があるわけではないので、これからも日本(やミャンマー近隣国)から出来る支援を続けていきたいと思っています。

それぞれに、それぞれの居場所だから出来ることが必ずあると信じています。
新町さんがミャンマーから発信する声を、ヤンゴン放送局の東京支部としてしっかり受信して、これからも言いたい放題、頑張っていきたいです!

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各コーナー
「情報アップデート」
「ヤンゴンカルタ、ビルマ語プチ講座」

ヤンゴンカルタサイト: https://yangonkaruta.jimdofree.com/shop/
オープニンテーマソング
えばイーア『A song for you』
https://m.youtube.com/watch?v=qr0Z4i5LI4Y&feature=youtu.be

エンディングテーマソング
えばイーア『帰り道』

https://youtu.be/GJLH1rL9scg
新町さんのSNSや記事情報
Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon

note:https://note.com/tomoyaan/
ワールドボイス連載記事: https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/shimmachi/
最後までお読みいただき、ありがとうございます!




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