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超えられない15cmのカベ(台湾入院日記)

毎日22時ごろ更新。初めて行った台湾で、バイクにはねられ、足を骨折。英語も中国語もできないスキル状態で現地の病院送りになった女の、なにかとギリギリな入院回顧録です。

前回はこちら


自分がはねられる瞬間を見る。

全米が涙する一大スペクタクル巨編でも超えられなさそうなスリルを味わいに、警察署にやってきた。あの瞬間は記憶にしっかり刻まれているけど、第三者視点で見るのは、気持ちがまたちょっと違う。

退院直前に買っておいた松葉杖をこわごわ突いて中に入る。ものすごく心許ない。

全体的なつくりは、日本の警察署とそんなに変わらなかった。入ってすぐにカウンターがあり、その向こうに古びたスチールデスクの島が係ごとに並んでいる。

用件を伝えると、電話越しに通訳をしてくれた女性警察官が出てきてくれる。「こちらへ〜」と、カウンターの内側に通されたのには驚いた。入っていいんかい。

カウンターに近いデスクに置かれたパソコンモニターを、夫と、そして通訳のKさんも興味深そうに囲む。警察官がいくつかフォルダをクリックすると、動画プレイヤーの再生ボタンが大写しになる。心の衝撃にそなえて、一同が唾を呑む音が聞こえてきそうだった。まさに、固唾を呑む。

証拠として警察が押さえていたのは、バイクの後ろを走っていた車のドライブレコーダー映像。

バイクに追従する車。車は徐々に減速しているが、バイクはどんどん離れていく。ブレーキランプが光る様子はない。思っていた以上に、わたしとバイクの距離は近い。これを避けられるのなんか、スタンド使いぐらいやろ。

ブレーキランプが光ったのは、ぶつかったのとほぼ同時。
はねとばされたわたしは1.5回転していた。なるほどですね、どうりで夜空が見えたわけです。

カバディカバディしている間抜けな様子は、オバハンの陰になって幸い写っていなかった。

決定的な瞬間ではあったけど、想像より衝撃が少なかったのは車とバイクに距離があり、事故現場がやや小さく写っていたからだろう。

自分がはねられる瞬間など滅多に見られるものではない。思ったより衝撃が少なかったのをいいことに、都合6回くらい見てしまった。

今日イチのアトラクションを終え、ようやくホテルについた時には18時近くになっていた。松葉杖でベッドまで行き、フチに腰掛けてKさんを見送る。

(あぁ、退院したんやなぁ)

安堵のため息を吐きかけたその時、とんでもないことに気付く。

2本足で歩いてる人が、このあと絶対につまづく感じのイラストに嫌な汗が出る。これ、片足でしか立てないわたしにとって、越えられない壁じゃない…?

「請小心台階」とは、要するに「段差注意」である。

嫌な予感しかしない中、松葉杖で超えられるか試してみる。

越えられなかった。

5日間、ほとんど動くことなく蝶よ花よと甘やかされ、向かいのご家族に食べ物をジャブジャブ与えてもらった身体を15cm分引き上げる筋肉など、ほぼ皆無だった。

しかもドア付近には掴まるものが何もない。そのうちすっ転ぶ姿が、まざまざと浮かぶ。

このままではトイレにも行けず、漏らすしかない。折れた骨がまた折れるとか、傷口が開くとかそれ以前に、人としての。人としての尊厳に関わる問題だった。

すでに微かな尿意を奥の方に感じ始めている。
まごうことなき緊急案件。

あわてて保険会社に連絡し、ホテルを変えてもらうよう切実に訴える。たった15cmの小上がりが、今のわたしにとってどれほど恐ろしいものか。トイレに行くことすら命がけの環境で、いつまで帰国待機をすればいいかわからない辛さを分かってもらいたくて、言葉を尽くす。

10数分後、段差のないホテルを探すので時間がほしいとのメールが届く。現地の医療コーディネーターが、「どこも同じような造りだと言っている」ことが書き添えられていた。

医療コーディネーターの引き出し、少なすぎるやろ。

さらに2時間後、引き続き安全性の高いホテル探しを続けている旨と、別の病院で再度診察を受けてほしいとの書かれたメールが届く。

思わず「はぁ?」と声が出た。

「Fit to Fly Letter」は今朝すでに送ってある。なんのために先生を急かして予定より早く取り付けたのか。さっぱり意味が分からなかった。

これは再診時に通訳のKさんの話から分かったのだけど、怪我をした日本人が国軍病院に運ばれたケースが過去になく、保険会社と病院、お互いに勝手が分からなくて意思疎通が図れなかったのだろうということだった。

国軍病院は政府系病院のため、今までやり取りをしたことがない日本の保険会社への情報提供にガードが固かったのではないかと想像する。

そこで保険会社は足りない情報を国軍病院から取り付けることを諦め、おなじみさんの私立大学附属病院で「Fit to Fly Letter」をもらいなおすことを選んだのだった。

めっちゃ振り回されてる、率直にそう思った。
が、帰国のための最善策ならば仕方がなかった。

ホテル移動の返事を待ってヤキモキしている間に、夫が夕食を調達してきてくれた。紙袋には見慣れたロゴマーク。

モスバーガー!

素材が違うから、味も違う。パティがガツンと肉肉しくて、ヘルシー嗜好を推してる日本とは違った、ファストフードらしい美味しさ。食べ慣れた店でも、お国が変わればその土地の味に出会える。

台湾の食事は何を食べても美味しいのが、入院・療養生活での最高の癒しだった。

食事を終えたあと夫は、日本から持ってきてくれたお菓子、そう、賴一家に渡すはずだったバームクーヘンなどの救援食糧を置いて、空港近くのホテルに旅立って行った。

高雄空港からまっすぐ病院に来てくれたため、ようやくチェックインして初めて見た部屋の写真が送られてきた。

なにが「どこも同じような造り」やねん!
あるやないか!!!完璧なバリアフリールームが!

洗面台やトイレ、シャワーブースのすべてに手すり。エマージェンシーコールまで。かゆいところへの手の届き具合、守ってくれように感激する。

これなのよ。

今いるガウディホテルから、タクシーで15分。高雄空港へもより近い。料金もほとんど変わらない。

現地医療コーディネーターのリサーチ力に疑いを持ってしまう。その団体のサイトをみると、医療サポートのプロフェッショナルだと大きく書いてあった。

夫からの情報をすぐさま、保険会社に叩きつけるような気持ちで送っておいた。

トイレ問題は、室内の椅子を段差の手前に置くことで、急場を凌いだ。松葉杖よりはるかに安定するので、片足でトイレ側の床に踏ん張ってドアの枠を支えに這い上がる、なんとも情けない絵面だが仕方がない。

退院するなりハードすぎる。
とにかくもう、眠りたい。

隣か、向かいか、どこからかは分からないけど、大音量の音楽に合わせて熱唱する声が聞こえてくる。言語は聞き取れない。どんな客が泊まってるんだ...。戦闘能力がほぼゼロに等しい今のわたしにとっては、いつもならスルーできる些細なことが大きな脅威に感じる。

とにかく目を瞑って、眠ろう。
眠ることでこの脅威から逃れようと努力した。


完全バリアフリーの部屋を確保し
心の安全を手に入れることはできるのか。

次回、テクノロジーは空腹も救う
(9月8日夜 更新予定)

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