おねがいコンディショナー(台湾入院日記)
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今日もブレることなく、お弁当は雑に置かれていた。
サイドボード上から放たれるいい匂いで目が覚めた6時過ぎ。昨日の踏んだり蹴ったりでベッコベコの身体を起こす気力はまだ、みなぎってこない。
8月5日、退院の日。
寝たり起きたりしていると、吳先生が最後の回診にやってくる。手には何か書類を持っていた。
!!!
それは…!!
わたしを飛行機に乗せるために必要不可欠だと保険会社がずっと言っている「Fit to Fly Letter」!ひったくる勢いでもぎとる。
本来なら現地医療コーディネーターが病院から取り付けるものだ。ところが退院3日後以降でないと発行できないと言われらしく、帰国日がズルズル延びる問題を解決するために、わたしからも急ぎ発行してもらえないか依頼していたのだった。
これが出たということは……あとは帰国便の予約さえできれば…!日本が近づいてくる。診察が終わるやいなや、吳先生記入済みの「Fit to Fly Letter」をスマホでスキャンし、保険会社に送る。
ついでに、後の保険請求でのトラブルを避けるため、バウチャーの名前間違いのツッコミも入れておいた。
メール送信の紙飛行機を強めにタップして顔を上げた時はじめて、お向かいの景色がやけにすっきりしていることに気づく。荷物が、リュック(なんと全く同じものを持っている)と、いくつかのバッグにまとめられていて、これは多分アレだ。退院。
まさか同日だったとは。わたしがホテルのチェックインと夫の到着時間に合わせて遅い退院をするだけで、ほとんどの場合で退院手続きは午前中におこなわれる。これは日本と変わらない。
家族総出で親切にしてくれたお向かいさんへの、せめてものお礼にと、夫に菓子折りを持ってきてもらうようにお願いしていた。
その菓子折りはまだ、離陸すらしていない。
お礼をするどころか、袋に入った赤っぽい何かをもらってしまう。大きめのチャック袋にはトマトのイラスト、小さいのはティーバッグのようだった。
「イケメントマト!」
流暢な日本語でお姉さんが言う。そういう名前のトマト菓子らしい。最後の最後まで、施しを受けるばかりだったことに恐縮しつつ、せめて名前だけでも…と聞いてみる。
翻訳アプリに打ち込んだ綴りを見せながら、読み方を教えてくれた。
あまり口数は多くなかったけど、無限回廊で立ち往生した翌日から「捨てるゴミある?」とさり気なく聞きにきてくれたお姉さんの名前は、賴さん。
その肩越しに、見覚えのある黄緑色の物体が目に入った。
病院の備え付けだと思って、使いまくってたハンドソープ!!
お姉さんの私物だったとは。トイレのたびに毎回ガッシガシ使ってもうた。自分の名前を教え合うほっこりタイムの後に言い出しづらくて、そのことを告白せずにおいた。わたしはつくづくずるい人間だ。
賴さんごめん...心の中で平身低頭して詫びた。
思念体が地面におでこを擦り付ける向こうで、賴家のお父さんがせっせと荷物を運び出している。この病室でまたひとりになるんだなとしんみりするが、やっぱり腹は減る。
今朝のメニューは、紫芋の蒸しパン(中に餡入り!)、青菜の炒めもの、卵豆腐みたいなやつ、あげ?干瓢?の甘辛煮、おかゆ。味のないこのお粥ともお別れかと思うと、最後くらいちゃんと食べようという気持ちがわく。
ためしに甘辛煮と一緒に食べてみると、かなり美味しい。別れぎわに発見した入院ライフハックとなった。
そしてついに、賴家とのお別れがやってくる。お姉さんは「早く良くなりますように」と怪我を気遣ってくれ、ラスト差し入れを残して病室を出て行った。
ガランとした病室でぼんやりしていると、夫から飛行機に乗り込むとメッセージが届く。わたしもそろそろ支度をしないといけない。なにせ、身支度ひとつにもいつもの倍以上の時間がかかる。
動き出しのきっかけを探っていると、朝のバイタルチェック時に看護師さんを通じてお願いしておいた洗髪サービスのおばちゃんがバケツ片手に現れた。
また落武者になる覚悟でセルフシャンプーをするつもりが、有料サービスがあると言うので申し込んだのだった。もっと早よ教えてよ!
料金は200元。日本円で1,000円弱。
ベッドの枕部分に小さいビニールプールのようなものを置き、頭を乗せる。髪はベッドからはみ出した状態で、下のバケツですすぎ水を受け止める仕組みだった。
日本から持ってきた1回分のパウチを渡し、こっちがシャンプー、こっちがコンディショナーだと説明するが、ピンときていない様子。台湾ではコンディショナーを使う習慣があまりないのだろうか。
「コンディショナー is…トリートメント!」
「ステップワン、シャンプー。ステップツー、コンディショナー!トリートメント!」
ヘタ英語にも程がある。
「あぁ!オッケーオッケー!」
ようやく伝わったらしい。
おばちゃんの手技により、シャンプーがどんどん泡立っていく。指先からほどよい圧が伝わって、ときおりツボマッサージが入った。
それはまるで、美容院のシャンプーのようだったので、おばちゃんに聞いてみる。
「美容師さんですか?」
「せやで!」
「足どないしたん?」
「バイクにはねられた!」
「あちゃちゃー!」
世間話をしながら、丁寧にシャンプーをしてくれる。いちど洗い流して、またシャンプーを手にとって泡立て、5分か、10分か、もしかすると15分。長い時間をかけて丁寧に、丁寧に。何度かバケツの水を変えに行っては、しっかりとすすがれて汚れが落ちていく。
眠ってしまいそうなほど、心地いい。
しだいに、何がどうすすがれたのか、分からなくなってくる。長い時間をかけて洗い上げられ、最後はおばちゃんによるドライヤーで仕上げるというボーナスステージに突入した。
「できたでー!」
「ほれ、しっかり使ったからな!」
空になったパウチを見せつける。あぁ、よかった。コンディショナーのことも伝わったんだな。帰っていくおばちゃんを見送った。
空パウチを捨てようと、ヨイショと体を起こしてチェストを見る。
「コンディショナー、使ってへんやんけ!!!」
しかし髪は、シャンプーだけとは思えぬほどサラサラとしていた。丁寧に洗えば、サラサラになるんや...。新たな発見だった。
シャンプーが終わった頃、今日帰国する仕事仲間たちから桃園空港に着いていると連絡が入る。夫が乗る飛行機とは10分差での離陸。空のどこかですれ違うことになる。
台湾でひとり置き去りになるたった数時間が、心もとない。そしてわたしがどんな気持ちであっても、昼のお弁当もやっぱり雑に配達されてきた。
これで見納めになる「お美味」をそっと撫でて、とにかく荷造りをはじめる。スーツケースを持ち上げようとすると肩の筋を痛めると数日前に学んだので、バイタルチェックにきた看護師さんにお願いしてベッドサイドの長椅子に上げておいてもらった。
ベッドのまわりに広げまくった日用品を、ひとつひとつしまっていく。はねられた時に着ていた服も、たたみ直す。事故に遭ったのがつい昨日のことのように思えてしまう。
はねられた瞬間のことは、たぶん一生忘れることはないだろう。
あとは着替えだけを残して、この病院で最後の食事となるお昼を食べる。
豚テキ乗せごはん、青菜の炒めもの、大根の生姜煮、白菜の煮物、白瓜?炒め、味の薄いスープ、オレンジ。
医療コーディネーターと通訳の方が来るまでの間に、病院への感謝の気持ちを綴る。目安箱用の用紙を、学生さんに散歩へ連れて行ってもらった時に入手しておいた。伝えたいことを翻訳アプリに打ち込み、繁体中国語で書く。
ERの母ちゃん、往生しまっせ顔をした主治医の吳先生、麻酔科の戴先生、病棟看護師のユイさんに謝さん、自治会長、看護学生トリオ…。
ここの人たちの明るさと頼もしさ。
そして浴びるように受けた、数え切れないほどの親切を思い出す。
書いたものを再翻訳して、意味が通っているか慎重に確かめる。多少...いや、大いにおかしなところはあるけど、きっと気持ちは伝わるだろう。
と、思いたい。
15時少し前に医療コーディネーターがやってきて、退院手続きがはじまる。ちょうど同じころ、仕事仲間からは関空についたとの知らせ。
退院手続きが終わる頃には、高尾空港から電車で病院に向かっていた夫も到着した。菓子折りを詰めたスーツケースを引いて。
渡したかった相手は、もういない。菓子折りはただただ、日本から台湾に運ばれてきただけだった。
夫が通訳のKさんと挨拶をしたり世間話をしている間に、退院手続きが終わったようだった。ついに病院を出る時がくる。看護師さん様子を見にやってきたので、例の手紙を託そうとする。とっさになんと言っていいか分からない。
「サンクスレター!投函したい!」
思いきり日本語で依頼してしまった。通訳の方がうまく伝えてくれた、はず。ほとんど押し付けるように手渡して、美味しい匂いをさせるコンビニ前に出るエレベーターで1階に降りた。
正面玄関はすでに閉まっている時間だったので救急入口にまわる。5日前にここへ担ぎ込まれたんだよなぁと思いながら、何かの偶然で母ちゃんとばったり出くわさないかと期待したけど、それはさすがに叶わなかった。
筆文字で書かれた「急診室」を背に、むわっと蒸し暑い夏の台湾を全身で感じる。長かったような、あっという間だったような5日間の入院生活は、あっさりと終わりを告げた。
今からタクシーに乗り込んで向かうは、警察署。
このあと、自分がはねられる瞬間を見るという酔狂な催しが待っていた。
5日ぶりのシャバ。
しかしそこに安住の地はなかった。
次回、超えられない15cmのカベ
(9月6日夜 更新予定)
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