新年早々お詫びがございます。
年が明けました。
2024年もnoteはきっとボチボチとしか書きませんが、ふと新着記事があった時にはご贔屓によろしくお願いいたします。
さて、新年早々にお詫びがございます。
まずは ↓ をお読みいただければ幸いです。
わたしが取材・執筆をし、『まいどなニュース』で公開された「神戸開港の近代〜現代の産業遺産群をめぐるツアー」についての記事に、ある指摘が入りました。
記事はこちら。
指摘が入ったのは、記事の中のこの部分。
今年の3月(※筆者注:2023年3月のこと)、SNSにて記事URLを引用する形で上記の引用部分に対して次のような指摘がされていると、人づてに伝わってきたのでした。
要約するならば、外国船から守る理由が「平清盛が整備したから」の1点では、この場所の歴史と重要性を語るには不十分じゃアンポンタン記者!ということかと理解しています。
記述に至らない点があったことは私の勉強不足によるものなので、ご指摘を受けるのも仕方がないことと受け取っています。ところが、「ツアーガイドの説明がどうなんだろう」との疑念は完全なる誤解です。ツアーを主催した団体の名誉のため、その点について説明させてください。
上記の文は、今や去ってしまった2023年の4月に書いたものです。私の記述が十分でなかったために、ツアーガイドの説明に不備があるのでは?と誤解を与えてしまったことが主催団体さまに申し訳なく、その誤解を解きたいと書きはじめました。
そして、下書きのまま年を越してしまいました。あらぬ誤解を向けられたままになってしまった主催団体さまに、まずはお詫び申し上げます。
弁明の記事を公開するにあたっては、より正確な記述に直した修正稿も併せて公開し、指摘された方にご納得いただくのがいいだろうと考えていました。そのためには知識をしっかり付ける必要があり、仕事の合間をぬって図書館や資料館に何度も通ったのですが…。二度も指摘を受けないよう隅々まで完璧でなければならないと思うと気が重く、理解も筆も、まぁ進まない。
そうこうしてる間に、大切な家族である猫が今日明日に死んでもおかしくない大病をし、ようやく落ち着いたと思えば私が足の骨を折り...と、すっかりタイミングを逃した次第です。
記事をあげられなかった間、主催団体さまへの誤解に対する説明責任を果たせていないことが、ずっとずっと気がかりでした。なので、指摘を受けた箇所の修正稿はいったん棚にあげ、先に書いていたツアーガイドに対する疑念が誤解であることを説明する部分のみ公開します。
一部分だけでも公開するという決断にこれだけの時間を要したこと、資料をご提供いただいた主催団体さまへの報告も今になってしまったことをお詫びします。わたしが指摘を受けたこと自体は甘んじて受けますので、書き上がっていたところまで公開して供養します。。
ツアーガイドはどう説明しているか
記事で紹介したツアーですが、神戸市内に残る産業遺産をめぐるコースが3つ用意されていました。そして、取材のため参加したモニターツアーには、和田岬砲台は含まれていませんでした。つまりツアーガイドの説明は受けておらず、まったくの独自リサーチによるもの。
和田岬砲台がある土地の歴史の深さを少しでも感じてもらえたらと、よくばったことが中途半端さを生んでしまったのだと思います。
では、実際のツアーではどのようにガイドされていたのか。ツアーの主催であり、ガイドスクリプトを制作した神戸観光局さまに確認したところ説明資料をいただくことができましたので、その中からご指摘に関係するところを抜粋します。
スクリプトでは、指摘にあった「外国船からの沿岸警備」としての役割がしっかりと説明されています。ガイドの説明に対しての疑念はまったくの誤解であること、強調しておきたいと思います。
さて。神戸観光局さまに対する誤解が晴れても、私の勉強不足と書き方の至らなさは揺るがぬ事実。和田岬砲台とは、そもそも和田岬とはどういう場所なのか。この機会にしっかり勉強してきました。仕事の合間をぬって図書館に行き資料を探し、疑問が湧けば博物館などへ行って確かめる、さらに裏付けとなる文献を探す…の繰り返し。ガイドスクリプトをご提供いただいてから時間がかかったのは、そういう理由でした。
いよいよその成果を発揮すべく腕まくりし、より正しい記述へと修正したいと思います。ものすごーく長くなりますので、お急ぎの方は目次から結論へとお進みください。
和田岬ってどんなとこ?
そもそも砲台が建っている和田岬とは、どんなところなのでしょう。
by ウィキべディア。
教科書的なことはウィキべディアに任せておきましょう。せっかく和田岬のことを知ってもらえる機会なので、わたしが好きな和田岬をお伝えします。
和田岬がある兵庫区は圧倒的ええとこ
神戸市は神戸ブランドそのものが強いので、大阪や東京ほど「区」への意識が強くないかもしれませんが、9つの行政区があります。ウィキペディアにも書いてある通り、和田岬は兵庫区に所在。
繁華街の三ノ宮や新幹線のぞみ号が停まる新神戸駅、景観計画地区である北野異人館街、そして神戸空港をも擁する、行政の中心地が中央区。その西隣に位置するのが兵庫区です。タモリさんもぶらりと歩いた「新開地」と呼ばれる繁華街を中心に、北端は山深い峠に達し、南端に和田岬。山から海まで南北にざっくり10km弱くらいという地形です。
兵庫区を語りはじめたら止まらないので控えめにしておきますが、「和田岬砲台」だけでなく「岡方倶楽部」や「湊川隧道」、「烏原貯水池」など、貴重な文化財や産業遺産(この呼び方の細かい定義はここではツッこんでくれるな)にボコボコ出合える。そういうところ。
山手寄りには、小学校だった建物を活かした「みなとやま水族館」なんていう、あたらしいスポットもある。前にビーズクッションが置いてある水槽もあって、ぼーっとしに行くにも良き。奥にはカワウソちゃんがいます。
さらに街へ繰り出せば、商店街は活気にあふれ、人のパワーと美味しいもので満ち満ちている。なんでも揃うなかでも、イチオシは100円で飲めるミックスジュース。小さいグラスになみなみ注がれる冷たいそれをキュッ!とやれば、たちまちハッピーになれる。
青果店が営むフルーツパーラーのパフェにいたっては、最高以外の言葉が見つからない。わたしが行った時なんて、メロン刺さってましたからね。夏はスイカだったりと、その時々の旬がてんこ盛り。記憶の中ですら美味しさを醸しだします。最高。
つまり、山手から海辺まで、いつ行っても楽しくて元気になれる場所。それが兵庫区。では、その中でも南端に位置する和田岬がどんなところかというと…。
これが和田岬だ
地図で見ると位置関係はこんな感じ。
何本もの道で繋がっているけど、複雑な形をして海の上にぽこっと突き出しています。これは川から流れてきた土砂と垂水方面から運ばれてきた土砂が沿岸流により堆積して形成された砂嘴(さし)と呼ばれる地形。
砂の嘴(くちばし)と書くとおり、鳥の嘴のように細長く突き出した東側の地形が特徴的です。ここらの海は、六甲から吹き下ろす風で波も風も荒かったといいますが、この地形により波風から守られました。さらに十分な水深にも恵まれ、天然の良港と呼ばれて重宝された歴史があります。
ちなみに右隣のポーアイ(ポートアイランドの略称)は、須磨など西側の山を削って生み出した大量の土砂を巨大な地下ベルトコンベヤで運んできて埋め立てる「山、海へ行く」というトンデモ手法で誕生した人工島です。
和田岬に話を戻しましょう。
「ええ港やぞ!」と気づいた昔の人々はこの地を整備。交易の要衝となり栄えます。さらに明治時代には、波風が強い和田岬をぐるりと回らなくて済むよう5つの運河が築かれ、それらは兵庫運河と呼ばれました。大正時代以降は、一体は大工業地帯に。物流拠点や貯木場などに利用され、水質が悪化してしまいます。しかし、この場所を大切に思う地元の人たちの努力により、今ではたくさんの生き物が棲む美しい運河を取り戻しています。
ここは本当に気持ちのいい場所で、心がスッと爽快になる。
運河沿いにはイオンモールがあり、こんな贅沢な立地が他にあるか?と訪れるたびに感じます。向かいには中央卸売市場が建っているため、他のイオンではお目にかかれない広大な鮮魚売り場もある。外には運河を望むテーブルが設けられていて、モールで買ったお弁当は、豪快に吹き抜ける風に持っていかれるビニール袋を必死で押さえながらいただけます。なかなか乙。
中間駅がなく、このあたりにある工場への通勤客を輸送するために朝晩だけ運行する和田岬線は鉄分豊富な方たちにも人気のローカル線。運河を越える橋を支える脚が、戦火をくぐり抜けてなお現役の年代物という一見の価値ある代物です。
この橋脚が見られるスポットのすぐそばには雰囲気のいいカフェがあり、駅の近くには美味しいパン屋さんも。見どころもグルメも充実していて、もう枚挙にいとまがない。
和田岬の歴史
とまぁ、地域に根ざした感じのいい場所がたくさんある和田岬。では、自然が生み出したええ港のあるこの地を整備した人たちとは誰だったのか?平清盛はどう関係しているのか?なぜ砲台が造られたのか?その歴史を、順を追って紐解いていきたいと思います。
奈良時代
記録に残っている歴史の最古は奈良時代。
ここから先は、国立国会図書館が所蔵する古文書をなんとか読み解こうとして手が止まりました。
以上です。
指摘をされた方は、共有の知人は多分ものすごくたくさんいるものの、直接の面識はありません。SNSでも繋がっていないので、いきなり個別に「違うんです」と言うのは気が引けたのと、その方のSNSを見た方も誤解をしている可能性を考え、こういった手段を取りました。
とはいえ今さらこんな投稿をしても、時間が経ちすぎて指摘をされた方には届かないかもしれない。その方はわたしの投稿や記事だから見ているわけではなく、ご自身が造詣の深い界隈に関する話題だから気に留めたのだと思います。
主催団体さまへの罪ほろぼしは単なる自己満足かもしれません。それでも、ガイドツアーの説明はなにも心配されるようなことはないのだと、声を大にして言わせてください。
最後にボヤキ。
ファクトの追求以上に、圧倒的なスピード感を超低単価で求められるタイプのWEBニュース記事は難しい…。ちなみに、日を追うごとに「実はさておき数をこなすこと」を求められる方向に進んでいったことが苦痛で、わたしのスタンスとも折り合わなかったので、このメディアでは今はもう書いていません。
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