ガウディの名を冠して(台湾入院日記)
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え、なにこれ。死ぬん?
それくらいの頭痛で6時頃に目が覚めた。心なしか、謎の衝撃を受けた右こめかみを中心に、圧迫されているような痛みがあり怖くなった。うっかり「事故 4日後 頭部の痛み」などとググってしまう。
8月4日 7時前。
時間を置いてもおさまる気配はない。逆に痛みは増すばかり。たまらずナースコールをする。
「頭痛薬持ってきたげるわな〜」
ちゃうねん。いや、ちゃうくないねんけど、求めてるものは、それじゃない。不安の芽はしっかり摘んでおきたかった。
「救急搬送された時、頭の検査は完了してますか?事故の時、強い衝撃がありました。とても不安です」
持って回った言い方をしても伝わらない。どストレートではっきりした表現の日本語を翻訳する。
これが、この数日間で学んだことだった。
スマホの画面を見て「ほほぅ…」と考えていたが
不安を汲んでくれたようだった。
「先生に報告するから、ひとまず頭痛薬飲んで待っといてくれる?」
白い錠剤を置いて看護師さんは去っていった。もらった薬を飲み、横になる。その時、コンコンとノック音がした。お向かいの、今日はお母さんだった。
「リンゴ、食べるぅ?」
気持ちは心底ありがたかったけど、ひどい痛みと不安で、なにかを口にする気にはなれない。力ない声で、わたしは初めてこの家族の親切を断った。
親切を受けすぎるのも申し訳ないけど、親切を断るのも申し訳ない。優しくされることに慣れていなさすぎる悲しき生き物。
しばらくして、「頭部CTを撮る」と知らせがきた。「検査の時間が決まったら知らせる」と。希望が通ったのはよかった。けど、異常が見つかったら...と思うと、事故以来はじめて不安で押しつぶされそうになる。
そして、腕は盛大にかぶれていて、痒い。
明日の退院は延期になるだろうか…。どんどん痛みを増す頭を文字通りかかえて、不安と孤独にさめざめと泣いた。
枕元で、短くスマホが震える。
あの震え方はメールだ。保険会社だろう。昨日、退院したら警察署に事故映像を見に寄るように言われていたのを思い出して、ホテルに向かう途中で立ち寄り先があることを念のため知らせておいた。
ギリギリ痛む頭を少しだけ起こして開く。
「なんでや...なんでそうなるんや….」
「情報共有」だとはっきり書いて送ったことに、「警察署での通訳は通常おこなっていません。保険対象になるか確認します」てなことが書き綴られている。警察署での通訳なんて頼んでないし、通訳というトピック自体はじめて出る話だった。
クレクレちゃんだと思われているのだろうか。日本人との会話が噛み合わない。心の余白がゴリゴリと削られていく感じがする。しんど…。
不安と二人羽織で目の前にあらわれた悔しさに涙がこみあげたが、縫合部の消毒とガーゼ交換がやってきたので、慌てて拭う。
看護師とは違う制服を着ていて職種は分からないけど、これまでも何度かケアをしてくれたことがある。頼りになる自治会長みたいな女性だった。
「ちょっと血ぃ出てるなぁ。腫れも強いわ」
先生に報告して診断を仰ぐという。頭痛に、大かぶれに、傷の状態。そしてあまりに噛み合わない保険会社とのメッセージ。退院を明日に控えて、つぎつぎと問題が発生する。今日はいいことがない。
先生に見せるため傷の写真を撮った自治会長が、ガーゼを交換してくれる。
「風邪ひいたんとちがう?」
どうやら鼻声のことを言っているらしい。「さっき泣いた」と正直に告白した。なにかを察して背中をさすってくれた手が優しく、あたたかかい。
ガーゼ交換が終わるころ、頭痛薬をくれた看護師さんがやってくる。「CT室に連れて行く」と、あらかじめ翻訳した画面を用意して車椅子を持ってきてくれた。
昨日は散歩のために学生さんが乗せてくれたエレベーターで1階に降りる。いい匂いのする例のコンビニを今日は素通りして、奥へ。ERの向かいがCT室だった。部屋の中には、キヤノン製の大きな装置が鎮座している。
日本でおなじみのロゴを見るだけで、少しホッとする。車椅子から検査台に移り、お腹の上で手を組んで静かに目を閉じるとものの数分で終了。吳先生は外来診察中とのことで、後で結果を知らせてきてくれるとのことだった。
病室に戻ると、自治会長がさっきまでしていなかったフェイスシールドをつけて待ち構えていた。
「詳しくは後から先生が説明するけど、CTは問題ないから一応コロナの検査するで!」
手に握りしめた長い綿棒。苦手な鼻ぬぐいだ。走って逃げたい!しかし足が折れているわたしには叶わない。泣く泣く受け入れるしかなかった。痛い。もう堪忍して。
「結果は15分後に出るからな!」
ジンジン疼く鼻をティッシュでおさえる。ティッシュの隣には、まだ手をつけていない朝ごはんを押しのけるように無理やり置かれた昼ごはん。相変わらず雑な配達に、思わず国軍病院での日常を感じてしまう。
午前中に消耗したHPを回復しなければと、まずは朝のお弁当に手をつけた。今朝のメニューは肉まんが2つ。視界がただただ、白い。具は、おからのようなあっさりしたなにか。
1つを半分ほど食べたところで、向かいのお姉さんがカーテンの波間から顔を出す。手にはポカリと水のペットボトル、もう片手には「飲料水どうぞ」と翻訳された画面が出ているスマホ。
さらに、温かい高山茶が入った水筒とコップまで。ご両親だけでなく、入院しているご本人まで…一家総出で助けてくれるやん。その親切に、もう溺れそう。甘やかされすぎている。
午後も保険会社とのメールにはげむ。退院してから帰国日までを過ごすホテルを2つの候補から選んでほしいとのこと。ようやく、ここまで、きた。メールに書かれた名前をGoogleマップで検索する。
候補① Kindness Hotel Weiwuying
候補② Gaudi Hotel
「どっちか選んで」と言われましても…。
あなたならどうする?
決められへんよね、これ...。
ガウディ大先生と同じ名前を冠した勇気を讃え、無理やり②を選んだ。
CT検査のこと、今日もたくさん差し入れをもらったこと、退院後のホテルが決まったことを、夫と仕事仲間にそれぞれ報告する。さっき食べてから3時間ほどしか経ってないのに、ちょっとお腹が減りはじめていた。
昼のお弁当は例の「お美味」だ。
だんだん分かってきた。昼は「お美味」がくる。
蒸した骨付きチキンが乗ったごはん、えのきの炒めもの、青菜の炒めもの、湯葉のなにか、ヤングコーンの炒めもの、そしてりんご。青菜の地位は固い。
満腹で寝たら幸せやろな...。そうしたい衝動をこらえて、メール合戦場へと帰っていく。ホテルのこまかい予約条件、退院手続きを代わりにしてくれる医療コーディネーターのこと、通訳のこと。その費用のこと。
この日の保険会社とのメールは13通にもなった。
ご多用。
夕方には、吳先生がやってくる。
傷の状態やCTの結果を見たうえで、明日の退院は問題なしの太鼓判を押して去っていった。
よかった!
のか?
病院を出た後の行き先が、まだ決定はしていない。ガウディ大先生と同じ名を冠したホテルの手配はいま…?
それ以外にできることがもうなかったので、夜のお弁当を食べる。
おまえ…「お美味」やないか!
夜なのに「お美味」。
夜だけど「お美味」。
はじめてのパターン。掴めないリズム。
あまりに動揺して、なにを食べたのかさっぱり思い出せない。
21時を過ぎてようやく、ホテルの予約が完了したとメールが入る。
「添付のとおりバウチャーをお送りします」
あぁ、よかった。
トン(スマホタップ)
ズコー!!
名前の漢字!思いきり!間違えてます!!
パスポート!写真に撮って!送ったよね!?
もう!どないやねん!!
ズタボロで迎えた退院の日。
菓子折りを携えた夫が機上の人になっていた頃
わたしは病室で泡まみれになっていた。
次回、おねがいコンディショナー
(9月5日夜 更新予定)
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